秘密最終話
 
ヒナタの実の母からの手紙を燃やし、彼女の秘密を己の胸にしまい込んだあの日から。

今日で何日経ったのか。ネジは凍える指先を騙しながら手際よく身なりを整える。

今日は宗家嫡子であるヒナタの誕生日。年も暮れるこの多忙な時期に、毎年一族は彼女の為に

形ばかりの祝宴をもつ。彼女を祝うというよりも、一族の情報交換の場としてそれに興じる。

もう何年も前から、ヒナタに嫡子としての資質が無いと誰もが気付いた時から、この祝宴は

本来の意味を為さないものになっていた。

誰からも振り向かれることなく、申し訳なさそうに眉を顰めて俯くヒナタの姿が脳裏を掠める。

…昔はそれが小気味よく、それを見たいがために出席していたネジであるが…。
 
宗家への憎しみも薄れた今では、ヒナタへの愛を素直に認められるようになった今では

…胸に痛みを覚えずにはいられなかった。

(あの子を救って…?)

あの儚い女の声が想い出される。きゅっ、と仕上げに上着の紐を締め、ネジは部屋から出た。

軋む廊下が凍てついた冷気をネジの足へともたらす。

それに気を引き締めて、ネジは強い意志を秘めた眼差しで正面を見据えた。

(あの子を…どうか…)

覚悟を勇気に変えて、今日ネジは宗家へ向かう。ヒナタの誕生日を祝うためだけではない、

彼女と、自身の身の振り方を決定づける今日のために。






ネジが宗家に到着したのは、宴もたけなわ、といった頃であった。

「これはネジ殿、遅いお越しで…随分と余裕でございますなあ。」

接客係りの分家の老人に嫌味を言われた。だがネジは動じることもなく、彼に雪で濡れてしまった上着を渡す。

「雪が深くてな。だが俺が遅参したくらいで誰も咎めはしまい?昔とは違うのだからな。」

左様で御座いますな、と老人が強いネジからの視線に負けて、上着を掛けねばとそそくさと立ち去った。

(小者めが。)

父を亡くし、一介の分家となった不遇の昔とは違い、今は宗家に次ぐ地位を与えられている。

当然だ、この若さで今は里でも有数の上忍であり、また一族きっての天才。

それに見合う地位といえば、宗家に次ぐ分家頭領しかない。

今年の夏にそれを与えられて以来、妬みそねみを随分とされてきたが。

しかし頭の良いネジの細やかな根回しと、その実力で誰も何も言わなくなった。

それでもたまに先程の男のように嫌味をいう者もいる。

それら大概の者は老い先短く、先がないゆえにそんな行動も恐れぬのだろう。

(俺はいい、だが…ああいう輩はきっと他にも心無い言動をするものだ。掟に虐げられた分家の鬱憤を

 年老いてから吐き出すようになる…ヒナタ様などは格好の獲物だろう。今日などは特に……)

きっとあの優しい娘は何を言われても咎める事などしない。黙って耐え忍ぶ筈だ。その地位を疎ましく思うことこそ

あれ、利用しようなどとは思わない性格。今日とてこの宴での軽視されきった己への処遇にも怒る事無く、逆に

申し訳ないとか、己の非力さを恥じてその優しい心を痛めている筈だ。

(…俺が守ってやらねば…。あの優しすぎる人を…俺が守ってやらねば…。)

ざわざわとした空気、時折上がる笑い声、それらのする方へとネジは歩き出した。






ネジが宴会の場に現れた途端、それまでの空気が一変する。ぴんと張り詰めた静寂が降り、皆固く唇を引き締めた。

「…来たか、ネジ。待ちかねたぞ?」

「遅くなりまして…申し訳ありません。」

「よい、かえっていい頃合となった。皆の者、今日は重大な知らせがある。」

宗主ヒアシが凛とした声で、ネジが己の隣りに座るのを認めてから、そう切り出した。

ヒアシをはさんでネジの反対側に座っていたヒナタが、何が起こるのかと不安そうにヒアシとネジを交互に見詰める。

その、頼りない仕草、おどおどと怯えるヒナタを見て、ネジは強烈な庇護欲に襲われていた。

ヒナタが困ったように又ネジへと視線を向ける。と、同時にネジの抱く彼女への劣情に気付いたのか、

ヒナタはハッと息をのみ、再び怯えるように視線を逸らし俯いてしまった。

それに、フン…と口元を歪めネジは静かに目を閉じた。ヒナタの震え怯える気配がひしひしとネジへと伝わってくる。

可愛い…。可愛くて仕方がない。

あの秘密を知るまでは、己の所業から罪悪感に曇った目でヒナタを見ていたから気付けなかったが。

ヒナタの怯えに秘められたモノが、今ではハッキリと見える。

恐れながらも感じている、ネジの気配、放つ熱。ヒナタが恐れているのはネジに惹かれてしまう己の本能だ。

(怯えずとも良いのに…。貴女の気持ちは貴女を救う道しるべになる。恐れる事はもう、ないのに…)

唇に手を添えて、そわそわと落ち着き無く困惑しているヒナタを、ネジは気配だけで己の脳裏に描く事が出来る。

(怖がることはない…ヒナタ様。もうすぐ貴女は…)

すっ、と空気が動いた。圧倒的な威厳をもつヒアシが一族へとそれを言い放つ。

「日向宗家嫡子、日向ヒナタが18を迎えた今日、これを分家頭領、日向ネジと娶わせる吉日とした。

 皆の者、異存はあるまいな?」

ざわっ、と一瞬どよめきがおこる。

だが、宗家に逆らうことなど許されない分家たちは、すぐに自分達のすべき事を理解し、その通りにした。

「おめでとうござります。」「おめでとうございます。」

次々と祝辞をのべ頭をたれる分家たちの流れるように鮮やかな動き。一直線に連なるひれ伏したその様に

ネジは宗家の権力を改めて思い知らされた。分家頭領でもここまで彼らを支配することは出来ない。

その最高権力の座に就く男がネジへと視線を向けた。

「たった今から、お前は宗家嫡子の夫であり、私の息子となった。以後、よろしく頼むぞ、ネジ。」

「はい。」

「そして…ヒナタ。」

びくり、とヒナタが体を震わせた。ヒアシとネジから同時に視線を向けられて、緊張に涙さえ浮かべている。

「あ…あ…は、はい…っ」

ふるふると震えながら、それでも精一杯自分を制しているつもりなのだろう。健気にも背筋を伸ばそうとしているのだが

しかしどうしても怯えきった彼女には宗主へと己の姿勢を正す事など出来様もなく。

「も、申し訳ありません…で、でも…突然のことに…わ、私、私…っ」

おろおろと更に震えて縋るようにヒアシを一瞥したあと、彼女は耐え切れず、俯いてしまった。

「…良い、前もって話さなかった私が悪い。だがお前とて異存はあるまい?」

のう、ヒナタ。そう声をかけられ、彼女は真っ赤に染まる。それを見てヒアシは微笑し、ネジは満足した。

(すまぬな、ヒナタ様。貴女は深く思い悩む性質だ。俺との縁談に人の良い貴女はどうせ、くよくよ余計な事を

 思い浮かべ悩むだろう。だからそんな時間は与えないことにした。傲慢すぎたか?)

先日、ヒアシと面談し、今日のこれを相談したときのヒアシの驚いた顔が思い出される。だがすぐにヒアシも

それに納得し、了解してくれた。私も大概傲慢な男だと自覚していたが、お前はそれ以上だな、と苦笑しながら。




NEXT







戻る