秋驟雨(ロングバージョン)
   

雨に濡れて、雫が頬を伝った。夏も終わって…一雨ごとに寒くなる。
今日の雨もそんな冷たい雨だった。

(…疲れた…とても疲れた…)

ぼんやりと街中を雨に濡れて、ヒナタは歩き続ける。
さっきまで秋晴れの爽やかな風が吹いていたのに、今は黒雲から冷たい雨が降り注ぐ。

今日は…うずまきナルトと春野サクラの結婚式だった。
二人とも木ノ葉の忍、ヒナタの仲間で同期だった。
普通なら素直に祝福してる、でもナルトはヒナタの尊敬する、大切な憧れの人だった。

その彼が…今日、結婚した。
いきなり召集をかけられ、結婚式に口頭で招待されたのは、ほんの三日前。
彼らしいといえば彼らしかった。
意外性NO1忍者だと、誰かが彼を評していたけれど…まさかここまでとは思いもしなかった。
心の準備もないままに、ショックから立ち直る時間も与えられず、今日の式に参加して。
ヒナタは必死で笑顔を取り繕って、彼と花嫁を祝福していた。

『ナルト君、サクラちゃん、お、おめでとう…!』

精一杯の笑顔でお祝いした。二人は本当に幸せそうに、ありがとうと答えた。
それから、みんなに愛されている彼と彼女は、盛大な拍手を浴びて嬉しそうに手を振っていた。
幸せに一段と美しさを増した花嫁が、青空にむかってブーケを投げた。
弧を描いて落ちてきた幸運のブーケは、あろうことか、ヒナタの手におさまった。
わあ、次はヒナタだね!と女友達から嫉妬まじりに囃し立てられて。
それに何とか笑顔でこたえたけれど、内心は泣きたい気持ちでいっぱいだった。

(…ナルト君への気持ちを…誰にも気付かれたくなくて、ブーケを求める女の子に混ざったけれど
 まさか私に落ちてくるなんて…なんて皮肉なのかしら?…そして…どうして私はそれを
 ためらいもせず、受けとめてしまったのだろう?ほんの少し体をずらせば隣の子達に落ちたのに… 
 なんて要領が悪いんだろう?昔と少しも変われない、馬鹿なヒナタ…)

さっきまでの光景を思い出してヒナタの気持ちは暗く沈む。雨の雫が手の甲から指先を伝った。
左手にぶら下がるブーケが鉛のように重くて、ヒナタの胸が軋んだ悲鳴をあげる。
悲しいし辛いけど、これを捨てる訳にはいかなかった。
…大好きだったからこそ、その人の幸せを喜んであげなくちゃいけない。
だから、その幸せに嫉妬するような真似だけはしたくない。
そこまで惨めになりたくなかった。
でも…頭では分かっているのに、心は切なさで張り裂けそうになる。
結婚式の間中もずっとそうだった。
だけど、顔に出すわけにはいかなかったから、必死で笑顔を作った。

(…ナルト君…私、うまく笑えたかな…?)

午前中はあんなに晴れて、結婚式を祝うような青空だったのに。
帰りになって、冷たいにわか雨が降ってきた。

花婿への強い憧れを隠して、友情しか抱いてないと懸命に演じた。
自分をそんな風に抑えて、二人の結婚を祝福した、その精神的疲労はかなりのものだった。
まして二次会なんて…そこまで演技を続けられる自信がなかった。
他にも…あまり知らない人ばかりであったが、二次会を断った人が結構いた。
だからヒナタも何とか言い繕って、用事があるからと二次会を断ったのだが。
ここでもなんと運がないのか…ヒナタが式場から外に出て五分程歩いていると。
いきなり雨が降ってきた。
普段のヒナタなら何らかの手段を講じたろう。
でも、ショックと自分を取り繕った疲労感で、頭が回らなかった。
ああ、もう濡れちゃったから…いいや…。そう思って。
ぼんやり雨に濡れて歩いている。
冷たさも次第に感じなくなって、濡れるのも気にならなくなっていた。

「ヒナタ様!」

「っ?!」

いつの間にいたのだろう?
ヒナタの目の前に、長身の青年が秀麗な顔に怒りを滲ませ立ち塞がっていた。
従兄のネジだ。
彼も今日の結婚式に出席していたけど、確か二次会に向かったはずだった。
なのに何故ここにいるのだろう?

「どうして?」

(どうしてあなたがここにいるの?)

不思議そうに見詰めれば、ネジが眉間に皺を寄せて怒鳴った。

「ヒナタ様、いい加減にしろ!」

「え…?」

「こんな冷たい雨に濡れて、あなたは馬鹿か?少しでも利口だというのなら、雨が降り出した時点で
 傘を買うなり、借りるなりするべきだろう?なのにぼんやり雨に濡れて歩いているとは…。
 たまたま俺が二次会を途中で退座し、偶然あなたを見かけて、俺の傘にいれようと声をかけなければ、
 あなたはもっとずぶ濡れになって、酷い風邪を引くことになっていたぞ?分かっているのか!」


「ご、ごめんなさい…」


「こんな冷たい雨に濡れてぼんやり歩いてれば、頭のおかしい女だと思われるぞ?!
 まったく、あなたのその迂闊さには毎度のことながら呆れる。せっかくの装いも台無しじゃないか。
 跳ねた泥でドレスは染みだらけ、かかとが折れたブランドのヒールも無残だな。」

折れたハイヒールをブーケと反対側の手にぶら下げて、ぼんやりとしているヒナタへネジが吐くように言う。
散々な言い草だが、彼が心配してくれているのだとヒナタには分かった。
ネジは皮肉屋で辛辣な言葉を吐くが、その心根は純粋で優しいと。
ずっと前から知っていた。

「…裸足で雨の中を歩くなど…怪我でもしたらどうするんだ?まったく…」

ぶつぶつ言いながら、ネジはヒナタに傘を差し出し、「少しこれをもっていろ。」と睨んだ。
それからネジはヒナタの足元に屈んで、小脇に抱えた袋から簡素な靴を彼女の足元に差し出した。
それに戸惑うヒナタをネジは有無を言わさず、慌てる彼女の片足を強引に掴むと泥の染み込んだストッキングを
膝から破り捨てた。声を失くすヒナタを無視して、彼はタオルで彼女の足先を軽く拭いて靴を履かせる。
無駄のない、手際の良さだった。

(ネジ兄さんに心配かけちゃって…私ったら…本当に駄目ね…)



**************************************



たまたまでも偶然でもない。
ネジはヒナタの足を拭きながら、内心かなり苛立っていた。
ヒナタが無理をしていることは、洞察眼を使わずとも良く分かった。
だから今日は心配で仕方なかった。
二次会をやんわり断るヒナタをみて、自分も適当に二次会を断った。
それから何度も、雨に濡れるヒナタへ声をかけようとしたが…
不器用な彼はヒナタの惨めな姿に困惑して、ためらって。
でもとうとう我慢できなくなって、いつもの強引さで彼女を叱り引き戻した。
この冷たい雨に濡れさまよう事から。
雨で濡れたヒナタの体は冷え切っていた。もっと早くに声をかければよかったと。
ネジは自分の不甲斐無さに腹が立っていた。
だからついつい辛辣な言葉を投げかけてしまったが、ヒナタは気にするどころか
穏やかなまなざしで、ネジへと礼をのべてきた。

「…ごめんなさい、ネジ兄さん…それから…ありがとうございます…」

(少しは正気になったか?)

ネジはヒナタの目から、あの虚ろなものが薄らいだのをみて安堵した。
それからゆっくり立ち上がると、改めてヒナタを見詰めた。
ネジの強い視線に戸惑いつつも、ヒナタが立ち上がったネジへと傘を渡してくる。
それを受け取りネジはいつものように、フンと素っ気なく鼻を鳴らした。
そうして、当たり前のように彼はヒナタの肩を抱き寄せ、強引に傘の中へと引き入れた。

「あっ…あ、あのっ…」

「狭いからな、寄り添うしかあるまい?」
 
憎らしい位綺麗な顔が、不敵な笑みを浮かべる。
それに頬が熱くなって、思わずヒナタは目を逸らした。
するとネジの苦笑する気配がした。
傘を余計に買おうにも、あなたの靴で手持ちが足りなくなったのだと、
ネジは見え透いた嘘をつく。
そこに含まれる彼の自分への気持ちも、深い意味合いもヒナタは知っていた。
でもずっと気付かぬ振りをしてきた。彼が苦手だったからだ。
だがいつしか苦手だったネジを、心地よい相手だと思うようになっていた。
次第に魅かれるようになっていき、同時に彼がヒナタに向ける情熱も、
嬉しいと感じるまでになっていた。

しかし、ヒナタの心にはまだ、強烈な光りを放って憧れの人が息づいている。
たとえネジを好ましく、いやそれ以上に必要で大切な人だと
自覚するようになった今でも、それを認め、初恋を彼女の心から締め出すには、
憧れの人は強すぎる存在だった。

今日の結婚式でのナルトの姿が思い出される。
彼は苦労してきたのに、卑屈なところが一切なく、明るくて優しい。
だが、純粋な分、恐ろしく鈍感な部分があった。
特にヒナタに対してはそれが最大に発揮される。
そんなナルトが、幸せそうな顔で振り向いた。
そしていつもの残酷さで、ブーケを受けとめたヒナタに、
『次ぎはヒナタか、結婚式には、俺たちを必ず呼んでくれよ?』と
イタズラっぽく笑いかけた。

笑うしかなかった、ここで泣くわけにはいかなかった。
慣れてる、人前で感情を殺し、泣かずに耐えることには慣れている。
厳しい父の前でも、憧れのナルトの前でも…。
自分を認めてもらいたいから、弱い自分をみせたくないから。

今日だって、ずっと耐えたのだ。
慣れている、そう言い聞かせて、心の傷を隠し続けた。


ふと、ヒナタの肩を抱くネジの掌に力が篭もった。
それに思考へと深く沈みこんでいた意識が引き戻されて、
ヒナタは窺うようにネジの横顔を見上げた。

ネジは無言で厳しい表情を浮かべている。
何を考えているのか分からなかった。
ただ、しっかりとヒナタの肩をつかむ彼の手は熱く感じる。


…初恋とは違う、もっと運命的なものをネジには感じているけれど。
それでも今はまだ…初恋に破れた少女の部分がヒナタを苛んでいる。
ネジが好きだけれど…報われなかった幼い恋心がまだヒナタの中にあって、
まだ次へ進む事を許してくれない。
心の底ではネジが一番好きなのだと分かっているけれど…。
でも、長年積み重ねてきた思いが砕かれた衝撃は…相当なものだった。
淡い憧れが…一度も顧みられる事無く、何事も無かったように葬り去られようとしている。
そんなの、余りにも惨めだと、幼い少女の部分が泣き叫んでいた。
かなわなかった悲しみは、結婚式のショックも手伝って、ヒナタを麻痺させている。

(分かっている…きっとキバ君やシノ君が結婚したって、ショックは受ける。
 大好きな友達が誰かのものになるのが 寂しいから…
 ナルト君に対するこの感情も…本当はそんなものなのかもしれない。
 でも…それでもやっぱり辛い…)

たとえいつしか友情に変化した淡い初恋だとしても、
思い慕った強烈な感情と時間は、簡単に拭い去れない…。


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