第五話
ネジは、怯えて縮こまるヒナタを可愛いなどと思ってしまった。 だが、忍として任務を放棄したヒナタを許す訳にはいかない。 彼女だけが例外であってはならないのだ。 だから、己の胸に浮かんだ彼女への慈しみも今は封じて言わねばならない。 「ヒナタ様、忍は私情を任務に持ち込んではならない、まして感情に流されて持ち場を離れるなど言語道断。」 「もっ…もうし…わけ…あ…」 「この事は里に報告する事になるが、何か言い分はありますか?」 「い、いいえ…なにも…なにもありません…」 俯き微かに震えるヒナタ。だが甘やかす訳にはいかない。 ヒナタに今後二度とこのような失態を起させない為にもきつく言っておかねば。 そう、ネジは心を鬼にして暫く忍としての心構えなど、とうとうと言い聞かせた。 ヒナタは項垂れながらも、はい、はい…と小さく相槌を打って真摯に受け止めているようだった。 (また…いつもの雰囲気か。俺は本当に憎まれ役ばかりだな…) 顔は相変わらず鉄面皮で感情をもらさなかったが、心の奥底でネジはそんな自分のさがに苦笑していた。 もちろん此度のヒナタの任務放棄の件を報告書に書くつもりなどない。 ネジとてそこまで融通のきかない男ではなかった。 実際、外に漏れる事はなかったが、ネジは厳しい反面人知れず部下や仲間へのフォローを欠かす事がなかった。
気にかけた本人達へ恩を着せるような真似など更に匂わす事もなかったから、厳しい男だという認識しか
広まる事はなかったが。
それでも規律に厳しく遵守しているようで、影ではこと細やかに気配りと思いやりを忘れないように、
ネジは常に心がけている。
厳しい規律で仲間達へ無理を強いるせめてもの罪滅ぼしになればと、そう彼は考えていた。 だがヒナタにそんなネジの優しい一面が伝わる事はないだろう。 ネジの性格上、彼と深く関わるような間柄にでもならない限り…。 「…以上だ。」 一通り説教を終えて、ネジは一旦言葉を切った。 もうすっかり朝日は昇り、漁師小屋から程遠くない真っ白な砂浜には、地引網を引く準備をする漁師と
その子供達が賑やかな声で笑いあっている。
朝日を浴びて漁に出ようとする船も多くなっていた。 しばし、その活気に溢れた情景を眺めていたが、不意にヒナタがネジへと小さな声で話しかけてくる。 何かと目をやれば、おどおどと頼りない彼女の縋るような姿。 瞬間、ドクリとネジの胸が高鳴った。 ヒナタの縋るような瞳。その仕草。 厳しく訓練されてきたネジは、そう簡単に性的反応をしない。 しかし…心が伴えばそれはいとも簡単に瓦解しかねない。 今、ヒナタに対して抱くこの感情と疼くような血の滾りは、彼を困惑させていた。 「なんですか?」 つとめて冷静にふるまう。遠方ではあるが人がいてよかった。 時間も邪まなものを浄化してしまうような朝で良かった。 「なんですか?ヒナタ様。」 中々二の句を継げないヒナタへ、ネジは助け舟をだす。 忍として、又上司としての対応は済んだ。 あとは個人的に、彼女のあの行動について話し合わねばならない。 そう…あの…ネジを好きと言ったも同然な告白について。 一方ヒナタは、自分を見つめるネジの目が、感情を殺した忍のものでなく、歳相応の少年のものになるのを悟り、
違う意味で怯えていた。
(きっと…また冷たく罵られる?あなたなんか好きじゃないって…迷惑だって、怒られる?) 不安で不安でたまらなくなる。 だが、ヒナタに宿る日向の血が、ネジの本質を彼女の洞察眼に訴えた。 眼前のネジは、上司の立場という鎧を脱いでヒナタを個人的に見詰めている。 厳しい、けれど清清しい、そんな印象深い眼差し。 彼は静かで冷ややかな…玲瓏な月を連想させると思っていたけど・・。 清冽な朝日を浴びて、気高いまでに美しい姿をみていると、全く違う感じがする。 (力強い太古の太陽神のよう…) 研ぎ澄まされた冷たいものを、今のネジに感じることがなかった。 伝わるのは不思議なことに、包まれるような暖かさ。 (ネジ兄さん、怒ってないの?) それどころか、今までにない優しい空気を彼から感じる。 (もしかしたら…もしかしたら…) 自分の気持ちはかなうのだろうか? 不意に、そんな気がした。 そんな予感に後押しされて。 漸くヒナタはネジへと話し出す事が出来た。 「わ、私…あの…あの時、嫉妬したんです…。」 頬が熱くなって、緊張から手の平に汗が噴き出す。 告白めいたものから、本当の告白になるであろう、それを。 今、ヒナタは勇気を出して伝えようとしていた。 「り、理由は…お分かり…かと…思います…わ、私は…っ…私は…」 ネジの顔がまともに見れないので、さっきから俯いたままのヒナタの目には己のつま先が映る。 砂や泥で薄汚れたつま先を見ながら、羞恥に卒倒しそうな自分を何とか保ちつつ先を続けた。
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