第二話


 

『ネジってよ、ヒナタが好きらしいぜ?』

ふと耳にした噂。瞬間ネジの体が恥ずかしさに熱くなった。

『あのエリートがねえ。確かにヒナタは可愛いもんなあ。でもさ…』

今更、どのつら下げて好きだなんて言えるんだよ、アイツ。

―ヒナタを殺そうとまでしたくせに―

どくん…っ、とネジの中で何かが音を立てた。
嫌な、真っ黒い何か。

噂話しをしていた少年たちはネジの気配に気付く事もなく、上官の呼び声に慌ててその場を立ち去った。
一人、潜むように建物の影に身を隠していたネジは呆然と立ち尽くす。

(俺に、彼女を好きになる資格はない。)

それにしても、普段自分の感情を洩らさぬように気をつけていたつもりだったのに…

真実が噂になってネジを切り裂くように苦しめる。
忍びとしての至らなさ、ヒナタへの罪悪感、そして何より彼の誇りを傷つけた。
だから…あの日、はにかみながら己の気持ちをそれとなく聞きだそうとしたヒナタを冷たく突き放していた。
自分を守るために。
ただそれだけの為に。



遊郭に響き渡る喧騒と嬌声に、苦い回想から引き戻されてネジは瞳を開く。
相変わらず隣りでは熱血漢のリーが腕立て伏せに精を出している。
番頭の男も変わりなく客をさばき、夜も本番といった感じで人の出入りも激しくなっていた。
(…まだ来ないか…)
犯人とおぼしき人物はまだ現れていない。
人が多いと白眼でさえ対象物を捕らえるのは困難となるが、
日向始まって以来の天才と称えられるネジは例外であった。
いつでも、現れれば瞬時に犯人をチャクラで特定できる。
そして俊敏なリーに指示すれば、いとも容易く捕縛できるだろう。
(まだか?)
嫌な空気、神経にピリピリと障る。
こんな嫌な場所での任務は早く終わらせたかった。
なによりこの任務、ヒナタと一緒なのがつらい。
(正直…ヒナタ様と顔をあわせるのは…)

つれなくしたネジを避け、怯えるようなヒナタを見るのがどうにも堪らない。

(どうして俺なんかに邪険にされたくらいで傷付く?俺など、気にかける必要などないだろう?)

ヒナタの反応はまるでネジを好きだとでもいうようなものだ。
それにネジは戸惑う。

自分に彼女を好きになる資格などない、そう言い聞かせていたのに。
その誓いが今にも崩れそうで。

そんな自分の浅ましさに彼は困惑していた。





「?!…ヒナタさん、何だかリー達の方が騒がしいわ!行ってみましょう。」

テンテンに促されてヒナタは急いで闇を走りぬけた。
そうして辿り着いた人だかりの真ん中を見た瞬間、体が凍りつく。

「いいぞー、兄ちゃん、外でおっぱじめるつもりか?」
「あははは、兄ちゃん、若いから金ないんだとよ、姉ちゃん、ただでやらしてやんな!」

わいわいと、酔っ払いの野次の的になっているのは、ヒナタが何よりも焦がれる少年の後姿。
それが華奢な女に馬乗りになっていた。
乱れた着物の裾からあらわになった白い太腿がネジの下半身に淫らに絡みつき、ネジは何かしら叫んでいる。

(や…やだっ…兄さん、何をしているの?や…やめて…やめてよ…)

「ネジのやつ、苦戦してるわね。リーは何してんのよ。ヒナタさん、加勢するわよ、ヒナタさん?」

任務に誰よりも真面目なネジが、任務以外の事をする訳がない。
だから、これは犯人を取り押さえようとしてるのだ、とテンテンはすぐ理解した。
だが、ネジへ常ならぬ感情と思慕を抱いているヒナタは、彼の姿に混乱し、次いで激しい嫉妬に襲われてしまっている。
だから、テンテンがヒナタの異様な雰囲気に気付き、それを止める前に彼女は思い切り叫んでしまっていた。

「やっ…やめてっ、ネジ兄さん!!わっ…私以外の女の人なんかに、触らないでっ!!」



一瞬、水を打ったようにシ…ンと静まり返る。
激情に拳を握り締め、目をギュッと瞑っていたヒナタだが、余りの静けさに我に返り目を開いた。

「ヒ…ヒナタさん?」

隣りで狼狽するテンテンと、唖然とする酔っ払いの男たち。
そうして暴れる女を漸く取り押さえたネジが静かに振り返る気配。

「あ…わ、わたし…っ」

急激に恥ずかしさが込み上がり、ヒナタはネジと目をあわす前にその場から逃げ出していた。

ざわざわと色んな声がまじってヒナタを追うように聞こえてきたが、ひたすら振り切るようにヒナタは走り続けた。

(わ、私ったら、なんてことを!)

自分が信じられない、あんな…あんな事をいうなんて。

あれじゃまるで愛の告白だ。
それもみっともないやきもちに溢れて、惨めなもの。

(ああ、どんな顔してネジ兄さんに会えばいいの?あんな、あんな恥ずかしい事叫んじゃって…)

こんなに自分を悔やんだ事はない。
ヒナタは遊郭から遠く離れた砂浜に辿り着くと、膝をついて松の木の根元に座り込んだ。
それから激しい動悸と乱れた息を整えると、膝を抱えて蹲った。





馬鹿!何故持ち場を離れた?」

女を縄で縛り上げ番頭に預けながらネジはテンテンに声を荒げ責めるように言う。
それにテンテンは
「だって犯人を取り押さえるための警備でしょ?だからこっちを優先して駆けつけただけじゃない!」
と強く言い返していた。
確かにそうだが、しかし、とネジが口を開きかけたところでリーが戻ってくる。
「ネジ、他の一味もキバ君達と協力して捕らえましたよ!」
「そうか、ご苦労だったな、リー」
「一味?複数犯だったの?」
「ああ、だからてこずったんだ。チャクラはこの女のものだったが、他に裏で糸を引く仲間がいたのでな
…それを白状させ、リーに追跡させたのだが、あの女、毒をあおった。だから吐かせる為に処置をしていたのだが…」
何とか毒を吐き出させることには成功して、犯人を生きて捕らえる事は出来たが…あらぬ誤解を周囲から受け。
その上…ヒナタにまで…。
暫しの沈黙をテンテンは察したのか、犯人確保で慌しい遊郭の受付所に目をやるとネジに話しかけた。
「あとは私達で報告するから、ヒナタさん、追いかけたら?」
「馬鹿な…依頼人に報告するのは小隊長である俺の仕事だ。ヒナタ様の事は…テンテン、お前にまかせる。」
「ふぅん、ま、ネジらしいっていえば、ネジらしいわよね。分かったわ、ヒナタさんは私が連れ戻す。でもネジ?」
「なんだ?」
「その後の事は知らないわよ?」
「………。」

闇に消えるマンセル仲間を見送り、ネジはリーの呼ぶ声に踵をかえす。
後の事は知らない、そう言われるまでもない。

だが今は任務の処理が先だと、生真面目な彼は遊郭の支配人の元へと向かったのだった。



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