第十九話「親子丼」
新婚旅行はヒナタの大事をとって見送り、二人は家でゆっくり過ごすことに決めた。
「チヨはお邪魔でしょうから、しばらく孫のところにでも行きますよ。」
そんなチヨを引き止めようとするヒナタを制して、露骨に笑顔で見送るネジ。
「もう帰ってこなくてもいいぞ?」
そんな主人に背中を見せてトボトボト歩き出した老婆は、しかし次の瞬間には目にも止まらぬ早業で、
結婚式で蹴り飛ばしたネジのスネへと回し蹴りを決め込んでいた。
しかも前回と寸分たがわぬ箇所。まだ青痣になっているそこに痛烈な蹴りを決められて
ネジは声にならない叫び声をあげ、チヨはにやりとほくそえむ。
「くっ…クソ…チヨっ!!!」
日向流の天才とは言え、新婚気分に油断しきっていたのか、或いは老人と馬鹿にしていたのか
はたまた、チヨが強すぎたのか、ネジは避けることも出来ずに、まともにくらっていた。
弁慶のなきどころ。
うっすら涙さえ浮かべるネジ弁慶、そんな主人に背中を向けて、チヨはゆったりとタクシーに乗り込んだ。
「このタクシー代は坊ちゃまにつけさせて頂きますからね。きっかり一週間後には戻りますので、
その戻り賃も坊ちゃまに持って頂きます。では、ごきげんよう。」
バフゥー、と排気ガスを吐いて走り去るタクシーの後には、痛みにスネを抱えて座り込むネジと
冷や汗を浮かべて手を振るヒナタが残された。
「まったく、チヨには敵わん。なんであんなにふてぶてしいんだ?」
ネジ兄さんだって、負けず劣らずだと思うけどなぁ…とヒナタは心の中で呟いた。
あの婆やに育てられたからネジはふてぶてしいのか、
それともチヨの方がネジを育てるうちに、ああなったのか。
卵が先か、鶏が先か。
「この場合、卵がネジ兄さんなのかしら?」
お昼は親子丼にしようと、台所に立ち、手にした卵を眺めながらヒナタは小首を傾げる。
「?? 俺が何だって?」
隣りに立って、包丁で鶏肉を切っているネジが、ヒナタの独り言に突っ込んできた。
「え…う、ううん、何でもないの。あ、卵、ネジ兄さんは多目がいいのかなあって、そう思っただけ…」
「いっしょくたに煮るのに、多目も何もあるのか?あ、卵は一人一日二個以上は駄目だからな。」
「え?どうして?」
「病気になる。」
どこから仕入れたウンチクだか知らないが、ネジは真剣にそう言い切って、二人分の親子丼には
卵二個だと決め付ける。卵好きのヒアシの影響で、卵をどっさり使用した親子丼を食べて育ったヒナタには
何だか物足りなく感じるのだが…。
「で、でも、相手にあわせる、これが結婚なんですよねっ、い、いただきますっ!」
「は?」
むしゃむしゃと口いっぱいに親子丼を頬張るヒナタに、ネジは一瞬目を丸くしたが。
次の瞬間には、とろける様な笑顔をこぼしていた。
(かっ、可愛いな/////)
「ほ、ほらっ、ご飯粒、ついてるぞ?がっつきすぎだ。今に相撲取りになっても知らんぞ?」
心の声とは裏腹に、口をつくのは皮肉たっぷりな言葉。でも、ネジと心を通わしたヒナタには
それが極上の愛の囁きに聞こえるのか、にっこりと天使の微笑をかえしてきた。
それに不意打ちをくらったネジは、うぶな少年のように頬を赤らめてしまう。
「ふ、ふんっ!馬鹿かっ…」
照れを誤魔化すようにネジも親子丼をかきこんだ。
「あっ、ネジ兄さん。」
「?」
声をかけられ、目線を丼からあげるとヒナタの細い指先が口元に触れた。
呆けるネジをよそに、ヒナタは優しく微笑みながら、その指を己の口に持っていき、
「ネジ兄さんにも、ご飯粒、ついてたよ?」
と、にっこりしながら、米粒を口に含んだ。
その仕草に、カアッと頬染めるネジ。
口元が緩んで仕方なく、その上今更な初々しい展開に彼は茹蛸のように赤く染まった。
「こ…これが…新婚の醍醐味というやつか…////」
お昼でこれなのだから、夜はどうなるのだろう?
自分の心臓が喜びで止まらぬ事を、ひたすらネジは神に祈るのだった。
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