星の雫(後編)
 
「そうか、火影が亡くなったか。」

付き人の女からの報告に、日向ハナビは静かに茶碗を膝に置いた。

「で、次代は誰に決まった?」
「…それが…」
「奈良シカマルか?戦闘能力に遜色はあれど、頭脳は素晴らしい。問題ないと思うが。」
「いえ、奈良さまは、新しい火影様の右腕という立場におさまるそうで…」
「おかしいな、では誰が火影になるというのだ?シカマル以外に思い当たる者はないが・・・」

訝しむハナビに付き人の女が気まずそうに切り出した。
 
「新しい火影様は…我等が宗主、日向アサヒ様にございます。」
「?!!!」
「…亡き火影、うずまきナルト様のたっての遺言だそうで…誰も反対するものはいなかったとか。」

(アサヒ、あの子が…あの子が火影だと?!!)

天才で名高かった義兄、日向ネジでさえ、その高みに昇る事が出来なかったそれに、あの…
出来損ないと蔑まれ、今もその優しい気性から一族の非難を浴び続けている甥が。

「うそ…であろう?」
「ハナビ様?」
「うそで…あろう?アサヒになど、あれになど、火影が務まるはずがない。あれは駄目な男だ、弱くて
 女々しくて…泣き虫で…ぐずのあれが…無理だ、無理に決まっている!!」
「ハナビ様?!」

ぎっ、と鋭い眼光でハナビは言い放った。

「あれがこの里を守れる筈などないのだ!弱いだけではない!
 あれには死の影がつきまとう、呪われた存在だ!あれは・・・」

あれは私の守るべきものを全て奪い去った!
ハナビの脳裏に亡き夫と生まれたばかりの娘、そうして義兄と、…最愛の姉の顔がよぎった。

「何より…私の…姉を奪った、あれのせいで姉は死んだ…アサヒさえ生まれなければ…」
「ハ、ハナビ様…なりません、そのような事、御身のお立場が悪くなるばかりです。」

付き人のいさめる声に、ハナビは口元を歪めた。

「これ以上、悪くなる事などあろうか?アサヒが歴代の宗主と同じ気性であれば、とうの昔に私を追放している
 だろうに…だがアサヒは女々しい。決して無情な真似はすまいよ…。」

だから腹立たしいのだ、とハナビは奥歯を噛み締める。幼い頃から見続けてきたから、よくわかる。
アサヒは優しい、どんなに蔑まれようと耐え忍び、人を憎む事をしない。ハナビには理解出来ない資質。
そんなアサヒだからこそ…ハナビは…

「っ・・・とにかく、私はあれが嫌いだ。あれが火影になるなど…木の葉も終わりだな。」
「ハナビ様…」

困惑する付き人を部屋から下がらせて、ハナビは窓から見える針葉樹の森に目をやった。

「・・・・・・・」

夫と娘を失ったから憎んだのではない。昔から…優しい叔母を演じながらも本当は憎悪していた。
義兄のネジとは真逆だ。義兄はアサヒを愛しながらも突き放すように育てていた。
周囲に最愛の妻の死因となった息子を憎悪しているような誤解を与えてまで。
だがハナビには分かっていた。ネジが妻の死による憎悪でアサヒを虐げているのではないと。
ネジは親としての愛ゆえに、アサヒの為に厳しく育てているのだと。今まで一族が達せなかったものを
アサヒに修得させるために、血を吐くような鍛錬を課しているのだと。
分かっていたからこそ、夫を使ってまでネジの修行をやめさせようとした。アサヒを駄目にしたかったからだ。
そこに隠された己の願望、感情にハナビは吐き気がする、だからその感情を胸の底に押し殺して、ひたすら
アサヒを憎悪してきた。憎い、憎いと。





「叔母上、お久しぶりです。」

もう避けようもなく、ハナビは渋々アサヒとの面会に応じた。彼は里の最高権力者、今までのようにはいかない。
ハナビの部屋に通してから、彼女は後悔しつつもアサヒの様子をくまなく観察している自分を自覚していた。

アサヒは暫く見ぬ間に、又一段と逞しくなっていた。とはいえ日向の遺伝からか、華奢で体の線は細い。
しかし、背は非常に高く、微かにのぞく首筋と胸元の筋肉から鋼のように強靭な体躯の持ち主であることが分かる。
だがその顔立ちは、優しかった亡き姉ヒナタに良く似ていて…柔らかい印象を人に与える。
ただ、瞳の色は姉の薄紫の瞳とは違う、氷青色のネジのものであったが。それでも優しい印象だった。

「ふん、相変わらず、女々しい印象だ。お前などが火影とは…この里には余程人材がなかったと見受けられる。」

そう嘲笑し、ハナビはアサヒへと侮蔑の言葉を吐き続けた。

「私の家族も守れなかったお前が…里を守れるとでも言うのか?よくも抜け抜けと話しを受けたものだ。
 厚顔無恥とは、まさにお前の事だな?アサヒ!」

「…非難するだけなら、誰にでも出来ます。」

「何?!」

「叔母上、今日お会いしたのは、貴女とお別れするためです。今後二度と僕からお会いする事はないでしょう。」

「っ!!」

「僕は里の為に生き、里の為に死ぬ事を誓いました。だから…過去に縛られ振り返っている時間などないのです。
 僕は前に進まなければ、火影として…だから、最期の身内である貴女にお別れに来ました。」

「どういう、事だ…?」

「僕は日向を離れます。」

「?!!」

「…世継ぎは…何人かの日向の女性と、体外受精でもうけることにしました。
 生まれた子の中から次代の日向宗主が選ばれるでしょう。そして、その子が成人するまでは長老衆と
 木の葉の幹部が後見につきます。だから…僕はもう宗主ではなくなる。火影になるために、火影であり続けるために
 特定の一族を優遇するような下地を作ってはならないから。だから、僕は生まれた一族から離脱し、アサヒ個人として
 火影となり生きる事を選びました。」

だから、叔母上、あなたとも…お別れです。

静かにアサヒがそう言った。それにハナビは目を見開き言葉を失う。

「…叔母上が僕を憎んでいるのは知っています。ですが…これから生まれてくる僕の子供に罪はない。
 どうか、かつて僕を慈しんでくれたように、新しい命を見守って下さいませんか?父として接してやれない
 僕の代わりに…お願いします、おば…」

「黙れ!!」

「?!」

「かつてのお前を慈しんだようにだと?馬鹿が!分からないのか?私は一度としてお前など慈しんだ覚えはない!
 最初から最後までアサヒ、お前などを叔母として慈しんだことはない!」

「お…ばうえ?」

「ふ…何を頼りない顔で私を見る?アサヒ、私はな、お前が大嫌いなんだよ。女々しいお前が!
 そんなお前の残す子供になど 誰が…っ…虫唾が走る!」

きりきりとハナビの胸を切り裂くような痛みが走り、それをいなすためにも今はアサヒを傷つけずにはいられなかった。
アサヒは、長い睫に縁取られた瞳に影を落とし、憂いを帯びた表情で目線をハナビから逸らしている。
その仕草は亡き姉のヒナタにそっくりで、益々ハナビの感情を乱した。

「何故だ!!何故、お前は生きている?姉上が死んで、何故お前などが生きているんだ!!」

「…叔母上…?」

困惑したようにアサヒが、散々罵倒されているというのに、怒るどころか心配そうにハナビを見詰める。
揺れる藍色の長い髪、髪型はネジに似ているが、その艶やかな色合いが又もヒナタを彷彿とさせる。
ハナビは思わず泣き出しそうになってしまった。

「帰れ!もういい、お前は日向を去り、遠くに行く。そして私はここで静かに朽ちていくだけだ!」

戸惑うアサヒを追い出して、部屋の戸をぴしゃりと閉めた。暫く無言でハナビを心配するアサヒの気配がしたが
諦めたのか、彼は何も言わずに去っていった。
完全にアサヒがいなくなってから、ハナビは戸から崩れ落ち、声を殺して泣き出した。


「アサヒ…許せ…あさましいこの私を…っ」

幼い頃から愛していたのは、たった一人。血の繋がらない姉のヒナタであった。
報われる事のない恋心を隠し、ひたすら己を殺して生きてきた。
それでもやっと…姉への恋慕が穏やかな愛情へと変化したのに…ハナビは自分が信じられなくなった。
姉に瓜二つの、姉の忘れ形見アサヒを…愛してしまうなど…まだ幼い少年であるアサヒを
誰にも渡したくないなどと…ゆるせない感情をかき消すためにはアサヒを憎むしかなかった。
憎んで憎んで、どうしようもなく惹かれるこのあさましい恋心を殺すしかない。
結婚して子を産んでも、夫と娘を裏切る自分の感情が許せなく、無邪気に微笑む甥を益々憎むようになっていた。
分かっている、アサヒに罪はなく、これはハナビの問題だ。
その天罰が夫と娘をハナビから奪い去った、その瞬間から亡き二人の為に余生を弔いのためだけに捧げようと
決めたのに。だからこそ、心を乱すアサヒと会う事を拒絶し続けたのに。禁断のこの恋心を知られぬためにも。
だが、ハナビの心は裏切り者だ。

今もこんなに胸が苦しい…アサヒが日向を去り、遠くに行ってしまうことが辛い。

(私は卑怯者だ…かつて、義兄上がアサヒを強くしようとしていることが嫌だったのは…アサヒを…
 いつまでも自分の手の届くところに置きたかったからだ…アサヒに弱いままでいて欲しかったんだ )


ひとしきり泣いたあと、ハナビはゆっくりと顔をあげた。
もう思い出すことはすまい、アサヒは遥か彼方、天上の星、名前のごとく、太陽になるのだ。
燃え盛る火の象徴、火影としてこの里を照らす太陽に。

(…その太陽から背をそむけなければ生きていけないなんてな…)

くっくっ、と自嘲してハナビは髪をかき上げる。自分は生まれながらに闇の存在なのだろうか?
不義の子である自分は…

「ヒナタ…アサヒ…私には縁遠い光りを宿した名前、だからこそ…魅かれずにはいられなかったのか・・・」


だが、一方には忠誠を誓いながら、一方には憎悪しか与えられない。
ハナビは薄く哂った。
自分は多分…姉よりも…アサヒを愛しているのだ…男として成長していく彼を…憎みながらも
愛しているのだ、どうしようもなく・・・・。
血の繋がりでは甥ではない、いとこの子供にあたる。
しかし複雑な血の相関を誰にも知られる訳にはいかないから、もとより叶うはずもない恋だった。
何よりアサヒが、叔母などを相手にするだろうか?
それでなくとも、14も年上の女など…
また、ずきりとハナビの胸が疼いた。


これは永遠に秘めた思い。けっして誰にも知られてはならない。
ハナビだけが知る宗家の秘密も、アサヒへの秘められた恋も、全てはハナビの胸にしまい
黄泉路の先まで抱いていこう・・。


顔を洗おうとハナビは重い足取りで部屋を出た。
のろのろと歩き出した先、柱に手紙がクナイでとめられていた。

「・・・・・・・・・・」

無骨なやりよう、だが、紙を開けば綺麗な文字。一目でアサヒのものだと分かった。


――ハナビ様へ
   
   貴女を一人の女性として求めている、畜生にも劣るあさましい僕を許して下さい。
   それでも貴女を愛しているという気持ちは本物でした。ただ恋しくて仕方がなかった。
   それゆえに貴女の顔が見たくて、何度もそれを願い乞い続けてしまい申し訳なかった。
   夫と娘を亡くされた貴女に、負担をかけるような真似を繰り返し、本当にすまなかった。
   でも、安心してください。僕はもう貴女を、求めることはしない。
   もう二度と、貴女を悩ませる事はしないと誓います。
   僕の気持ちに気付かれていたからこそ、僕を突き放してくれた優しい貴女に感謝しています。
   さようなら、ハナビ様
                                                    アサヒ


「…な…んだって?…」

がくがくと手が震えた。
自分だけではなかった?アサヒもまた、自分を愛していたというのか?


「アサヒ…なんて事だ…なんて事…」


涙が溢れてとまらなかった。
恋慕う気持ちは堰を切ったようにあふれ出し、今すぐあの優しい甥に会いたくてたまらなくなる。
けれど、そんな自分を必死に抑えてハナビはうずくまった。

「充分だ、これだけあれば、私はもう…充分だよ…」

本当に愛する男からの最初で最後の恋文。
それを後生大事に胸に抱えて、ハナビはそっと呟いた。


「アサヒ…愛している…いつまでも…」


自分を抑える為に必要だったアサヒへの偽りの憎悪は跡形もなく消え去って、残ったのは純粋な愛だけだった。
だが、…罪深い自分に出来る事は、遠くから彼を見守ることだけ…。彼に気付かれる事なく見守るだけ…。
それでも、いつか…アサヒが窮地に陥った時には、この身を使おう。この身を差し出して彼を守ろう。
火影には危険が付きまとう、だから、自分は…日向の忍びとしてアサヒの為にいつか死ぬのだと
ハナビは心に強く誓っていた。新たな星の雫となって、彼の為に命を散らす運命を…彼女は強く誓っていた。




(今夜は星が綺麗だな…)

火影室の大きな窓から夜空を見上げてアサヒはそう思った。
禁断の思いに別れをつげようと、訪れたハナビの屋敷。彼女は美しく、心がざわめいた。
けれど・・・・自分は火影だ、間違いを犯すわけにはいかない。身を切るような痛みに耐えて平静に
全てを終えようとした。しかし、感情的になるハナビが愛しく、いたわりたい気持ちに襲われてしまい
自分を抑えるのに必死だった。そんな自分をハナビが追い出してくれて本当に良かったと思う。

(だからこそ…僕の気持ちを伝えずにはいられなかった、多分この気持ちに気付いているだろう
 あの人を少しでも安心させたかったから・・・。)

今も疼くような恋心はある、けれどもう振り返らないと決めたのだ。
アサヒは、ハナビとも日向とも完全に決別すると誓っている。
火影となった重責は彼に私情を許さないし、そんな時間もなくなるだろう。


(僕はこの里のために生きるんだ。そのためだけに…前に進もう…)


俯いて、それから窓枠に腰を下ろした。
胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感が込み上がる。
けれど、それを振り切るように彼は星空を見上げた。


――寂しくなったら、空を見上げるさ――


アサヒは目を細め口元を綻ばせた。満天の星空に
無数の星の中に、彼らは生きている、生きてアサヒを見守っている
だから…寂しくなんかない。もう寂しいとは思わない。
ナルトも、里の為に散っていった先達も、そして父も母も…。
天にいる、綺羅の星となって降るように自分達を見詰めている。
だから…もう寂しくなんかないと、彼は静かに微笑み
それから、遠い昔、ハナビから貰った匂い袋を胸元から取り出した。
もう擦り切れたそれに匂いはない。
けれど、いつもこれに救われてきた。深い思い入れがそこにはあった。
偽りであったとしても、優しかったハナビとの思い出は忘れがたい瞬間だった。

「…もう、求めることはしない、けれど…思い続けるだけなら…いいだろう?」

静かに微笑んで、彼はそれを大切にまた、胸元へとしまい込んだ。


ハナビに憎まれている自分が彼女に愛されることは永遠にないだろう。
けれど…忘れることなど出来ない。
不器用な自分は、きっと死ぬまであの人だけを想い続ける。


「愛している……ハナビ…貴女だけを…ずっと…」


そっと囁かれた言葉は静かな夜気に消えていった。
それから彼は再び天を仰いだ。


群青の夜空を彩る星達のゆらめく様に、亡き人を偲び
永遠に心通わすことのない彼の人の面影を思い浮かべ、心は涙を流し続ける。
けれど、この夜が明ければ、痛みも悲しみも呑み込んで
清冽な朝日の如く歩きだすのだ、火影として、里の為に、皆の為に。
立ち止まることなく、歩み続けるのだ。


――― いつか命燃え尽き星の雫となるその日まで ―――



                                   (了)






★何だか知りきれトンボですが、後編ここで終了です。未消化の部分は後日…(どこまで続くんだ?)


(2006/12/12UP)
 



 









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