秘密(番外)
 
「ヒアシ様、宗家からたった今、奥様が無事ご出産されたとの知らせが届きましてございます。」

夜中、障子越しに告げられた内容に、ヒアシはあたたかい女の肌から顔を上げた。

「そうか、分かった。下がってよい。」

汗ばむ肌に着物を無造作に羽織りながらヒアシは側近に言い放つ。それからまだ閨の中で浅く息を整える

最愛の女…妾へと手を伸ばし、彼女の白い背中を撫でた。

「…そういう事だから、暫くはここには来れなくなるが、お前は大丈夫であろう?」

女の気持ちを、本心を知っていながら。ヒアシは残酷な言葉ばかりを投げかける。

女は儚い、今にも壊れそうなガラス細工にも似た、美しい心の持ち主だった。
 
だからこそ、愛し奪い、そうして…傷つけずにはいられない。

「ヒザシの髪をまだ後生大事に持っているお前だ、私がいなくとも寂しくあるまい?」

え…え、もちろんです、と小さく答える女の悲しみに満ちた横顔に、ヒアシは満足する。

これはこんなにも自分を愛しているのだと、自分の気を引くために、嫉妬を煽る為に、

こんな見え透いた嘘をついているのだと、そう確信するたびに満たされた。

だがそんなヒアシもまた、この女に全てを奪われている。それが癪でヒアシは素直に愛を告げることはしなかった。

しかし、冷たく傷付けながらも真実、この女を愛しているため、手放す訳にはいかないと。

ヒアシは自分に縛り続けるための嘘を女につくのだ。真実を織り交ぜた嘘を・・・。

「ふん、虚しい足掻きだな?だが、必ず私はお前の心をヒザシから奪ってやる。ヒザシなどにそこまで心を寄せる

 お前を決して手放すつもりはない。では…な。」

女の背中が微かに震えた。裸のまま、布団にうつぶせになっていた女が微かに振り向いた。

その艶めいた表情に浮かぶ喜悦を見て取り、ヒアシもまた口元を歪める。可愛い女だと、心の中で呟きながら。









早朝、宗家に戻ると慌しい空気に出迎えられた。

「宗主様、おめでとうござります。」

屋敷の中に進むにつれ、何度も分家、使用人にそう声をかけられる。幾分重い気持ちがあった。

理由は・・・。この新しい生命が己の血を分けた子供でなかったためだ。

「入るぞ?」

正妻の寝所に襖越しに声をかけ、中にはいる。まずヒアシの目に入ったのは赤子の姿であった。

「・・・・・・・・・」

それから正妻の枕元に座ると、世話をしていた使用人の女が気を効かせて部屋から出て行く。

完全に人払いがされてから、ヒアシは正妻へと言葉をかけた。

「…難産であったそうだな。大丈夫か?」

正妻は凛とした美しい気丈な女であったが、この時ばかりは疲れきって、幾分年老いて見えた。

実際、ヒアシより年上で…ヒナタの実の母より六歳も上なのだから…このお産はかなりの負担だったろう。

だが…そこまでして望み、堕胎を拒んで産んだ正妻の気持ちを、ヒアシは、すげなくする事など出来なかった。

例え自分達に夫婦の交渉がなく、形だけの結婚であったとしても。そして正妻が不義の子を産んだとしても。

ヒアシも同じ罪を犯しているのだから。

何よりこの正妻の相手が問題でもあった。なにせその男は…自分達の父親が外に産ませた子供。

腹違いの兄なのだから・・・。

「あの人の忘れ形見であるこの子を…産む事を許してくださったご恩は忘れません。」

正妻が静かに言った。ああ、とヒアシもまた頷く。それからチラリと産まれたての赤子を見やる。

「・・・あの人に良く似た顔立ちだ。…本来なら長兄であったあの人が宗家を継ぐべきだった。しかし…

 妾腹とあって、その存在は秘密とされ、養子に出されたのだが…しかし、彼もまた純血の宗家。

 ならばこの子供も宗家であることに違いはないのだ。…受け入れよう。そなたがヒナタを受け容れて

 くれた寛大さで、私もこの子供を慈しみ育てよう。それが亡き兄への宗家の償いにもなろう・・・」

ヒアシの言葉に正妻は涙を流し、感謝した。








正妻との約束を交わした後、ヒアシの元に亡きヒザシの妻と息子のネジが出産の祝いに訪れた。

「この度は本当におめでとうござります。」

「ああ。」

深々とお辞儀をするヒザシの妻は、実はヒアシの正妻の不義の相手の妹であった。

複雑な話しであるが…ヒアシ達の父親の妾が、長男を産み落とした後に嫁いだ先でもうけたのが、

この目の前にいる女なのだ。

宗家の秘密とされた、妾腹の長男は里子として分家に出され、宗家を追いやられた妾が嫁ぎ先で産んだ娘を、

どういう訳かヒザシは妻に選んだ。美貌を謳われた妾を母に持つ彼女もまた、その美貌を受け継いで美しい娘だった。

気性もはっきりとして、忍びとしての才も優れていた。ヒアシにはどうしても好きになれない気の強さであったが

ヒザシはいたく娘を気に入った。しかし、かつての妾の娘とあって、宗主は反対した。けれど、ヒザシの婚約者を奪った

罪悪感があるヒアシの、必死の説得でこの婚姻は実を結ぶ事となったのであった。

そんな経緯もあって、ヒザシの妻は例えヒザシがヒアシの影武者として命を落としたのだとしても、ヒアシを心から

憎悪することもないようであった。かつての好意を知っているから、それは苦渋の決断であると彼女も承知している

ようであった。そんなヒザシの妻をヒアシもまた、義妹として一族内でも優遇している。

(それにしても、なんという縁だ…我が妻の不義の相手が、ヒザシの妻の父親違いの兄とはな…)

ヒアシとヒザシの腹違いの兄、宗家の妾腹の兄が、自分の出生の秘密を知らずにヒアシの妻と密通した。

それを知った時は心臓が凍る思いであった。しかしヒアシはこれを好都合と取った。何故なら、正妻をどうしても

抱く事が出来ずにいたからだ。ヒザシを裏切ってまで手に入れた最愛の女の顔がちらついて、彼女を裏切る事が

出来ずにいた一途なヒアシに、正妻の不義密通はかえってありがたかった。だから、彼はすぐさま正妻の不義を

知ると彼女と契約を結んだ。自分達は仮の夫婦になろうと。お互いの相手との行為を黙認しあおうと。

もちろん、正妻には相手の男の出生の秘密は伝えなかった。ハナビを腹に身ごもるまでは…。

(何とも皮肉なものだな…石女と医者に見離されていた正妻が…まさか赤子を授かるとは…それも私の

 腹違いの兄の子を。堕胎すれば産むより命を縮めると医者に言われては…どうしようもなかった…。)

「ヒアシ様、これは私が縫った着物でございます。どうか奥様に…」

ヒザシの妻から差し出された布の包みにヒアシは我にかえった。そうして、礼をいうと、それを脇に置いた。

それからヒザシの妻を改めて見るうちに、彼はヒザシの困ったような笑みを思い出していた。

『兄さん、ネジは俺よりもある男に似ているんで、その男の子ではないのか?と言われて困ってしまったよ』

その男とは、言わずと知れた、ヒアシとヒザシの腹違いの兄である。その兄とヒザシの妻は兄妹だから

ネジがその男に似ても不思議はなかった。無骨な顔立ちの自分達とは違い、美しいその男は一族内でも

目に付く存在であったから、ヒザシの妻が疑われても仕方がなかった。しかもヒザシの妻は、その男が自分の

母親が里子に出した兄とは知らないので余計であった。

その秘密を知るヒザシとヒアシは噂など気にも留めなかったが、ヒザシの妻は憤り、噂を否定して回る程であった。

それに妾腹の兄も、『私には思う相手がいる、その人を裏切る事などない。』と否定したので

この一件は詮無い噂として終息した。

しかし、その男が口にした、思う相手が自分の正妻である事にヒアシは苦笑せずにはいられなかったが。

そんなヒアシの隣りでヒザシが言ったものだ。

『宗主の弟である俺以上に・・・・・陰の身の上とされた妾腹の兄。そうして俺の妻の兄にも当たるあの男にこそ

 ネジは誰よりも似ている。なあ、兄さん、ネジは中身まで、あの男に似てしまうのかな?俺達よりも遥かに

 優れた才能を持ったあの男に…』

ヒアシは何も答えられなかった。ただ、そうだな、としか言えなった。




(だからあの赤子は…ネジと顔立ちが良く似ている。死ぬまで自分が宗家の者だと知ることがなかった

 妾腹の兄が忘れ形見の赤子と、彼の甥であるネジは良く似ている…。だが、妾腹の兄とて

 結局はその母である我が父の妾に生き写しなのだから、結局は二人ともその妾に似ているという事になるのだが。

 我が父が溺れたという、才に溢れた美貌の女…。

 身分は低かったが、その才はずば抜けたものがあると聞いていた。宗家をも脅かす白眼能力を持っていたと…

 そして何とも皮肉な話しだ・・・・その我等が父の妾の血を、一番色濃く継いだネジにこそ、天賦の才が授かるとは…)

そして宗家に近い三人の子供の中で唯一人、ヒナタだけがその女の血を引いてなかった。

しかもヒナタの母は先天的にチャクラが弱い…。ヒアシの強い血を受け継ぎながらヒナタは母親に似てしまった。

(いずれ・・・ヒナタは嫡子の座を、あの赤子に明け渡す事になるだろう。だが・・・)

自分の血を引く唯一人の子供。内心複雑な思いがある。

「ヒアシ様?」

ヒザシの妻に声をかけられ、ヒアシは我に返った。そして己を憎悪の目で睨みつける幼いネジにようやく気付く。

「・・・ネジ、久しぶりだな。」

だが、ネジは返事をしなかった。それをヒザシの妻が慌てて窘め、ヒアシへと謝罪する。

挑戦的な目が、正妻の亡き相手、ヒアシの腹違いの兄を思い出させた。改めて見ると尚更に。

風貌も、美貌で名高かったその男に、やはり良く似ている。

任務で命を落とした、ヒアシとヒザシの腹違いの兄に・・・・・。

(妾腹でなければ、本来ならあの兄が嫡流であった。その兄に良く似たこの子か、それとも実の子のあの赤子か

 どちらかが、いずれ宗家を継ぐのかもしれない。皮肉なものだな・・・・・。)

だが、それならば。

(それならば・・・不遇であった兄と同じく、悲運に散ったヒザシの血を引くネジにこそ、宗家を継がせてやりたい。

 そして私の血を継ぐヒナタとネジを夫婦とし、我等三兄弟の血、全てを受け継ぐ子供にこそ、

 宗家を継承させたい・・・)

いきなり気持ちは決まった。だが、目の前の甥は宗家を憎みきっている。誤解を解くにはまだ幼すぎて

ヒアシは時を待つほかなかった。






ヒザシの未亡人とその遺児であるネジを門まで見送り、ヒアシは屋敷へと踵をかえした。

と、夕闇に染まった庭先、ぼんやりとした薄闇の中に、おずおずとはにかむヒナタがいる。

幼心にも、何かを感じているのだろう。本当の母ではなかったが、正妻は今までヒナタを可愛がってくれていた。

しかし、我が子を産み、その上このお産で命を縮めた彼女は、最愛の子供だけで精一杯となり、なさぬ仲のヒナタに

構えなくなっていた。ぞんざいに扱われ、身の置き場を失った我が娘。

「・・・お父様…」

縋るように伸ばされた幼い手をヒアシは握り締めた。本当ならヒナタの本当の母を、あの最愛の女を妻と呼び、

親子三人水入らずで暮らしたかった。この実の血を引く愛しい娘を、ヒアシがただ一人愛するあの女と慈しみ、

大事に育てたかった。叶わぬ夢ではあるが。

「ヒナタ、今夜は父上と寝よう。…母上は、お疲れだからな。」

はい、と嬉しそうに微笑む娘にヒアシは静かに微笑み返した。









「お父様、あったかい…」

腕枕をして寝かしつけるヒアシに、嬉しそうにヒナタはそう言った。

健気で優しく純粋な…

儚いあの女によく似たヒナタに、ヒアシは涙が滲んだ。

(ヒナタ、許せ。力ないお前に嫡子としての重責を負わせた父の業を・・・)




――母から引き離した父を許しておくれ、可愛い娘よ…

   お前から永遠に実の母を奪った父を許しておくれ ――





すやすやと眠る我が子の汚れない穏やかな寝顔に、隠し続ける秘密の重さ。

ヒナタを返して?あの子を返して?と縋る最愛の女の泣き濡れた顔がだぶるように思い出される。



何より幸せにしたい存在なのに、苦しめる事しか出来ない己の業の深さ。

だが手放す事など出来ない、たとえ荊の檻に囲うように閉じ込めているのだとしても・・・。


彼女達二人はヒアシの心の支えであるのだから。





(2006/12/6UP)



☆秘密、番外です。複雑なんですが、ハナビはヒアシの腹違いの兄の子供で、

 ネジの母親の兄の子供、という事になります。ネジは母親似、つまりお祖母さま(ヒアシの父親の妾)

 の美貌を受け継いだと。それは、ハナビの父親にも良く似ているという事で、わあ、ぐちゃぐちゃ。

 まだハナビは救われてますが、ネジなんて、大変です。父方のお祖父さんの妾が母方のお祖母さんですから。

 秘密のその後のネジなどまで書こうと思ったのですが、それは又違うタイトルで・・・。


   追加の系図など…







                                      
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