第十六話「段取り」
ネジが夢中で、大学時代に書き上げた小説の手直しと追加分を作成している間にも、実はチヨの采配で
二人の結婚式の準備が着々と進められていた。お腹が目立つ前に、というかもう4ヶ月なので結構膨らんで
いるのだが、とにかく急がねばならない。
「ヒナタ様、招待客のリストはこれで決まりですか?あと、今からドレスの試着にでかけますからね。」
ネジの衣装は寸法を既に測っておいたので(チヨがどんな手段を使ったかはわからない)、ヒナタのドレスに
あわせて試着なしで決める事にした。あらゆるネジからの許可は事後承諾で済まそうと決めて、細かな事は
チヨが宗家と連絡を取り合って、ヒナタと決めていく。
ネジを蚊帳の外にしている事にヒナタは不安を覚えたが、チヨの次の言葉で納得させられてしまった。
「結婚式も小説も両方すごく大事なことですが、坊ちゃまは一度に二つの事が出来るほど器用じゃないです
からね。なので坊ちゃまが長年の夢だった小説に集中出来るよう、結婚式については私たちで段取りを
整えておきましょう。小説には介入出来ませんが、結婚式の準備ならお手伝い出来ます。それにチヨは
ヒナタ様のお世話をするのが楽しいのです。こんな年寄りと結婚式の打ち合わせやらなにやら、つまらない
とは思いますが、どうかお許し下さいませ。」
「チ、チヨさんっ!!そんな事ないですっ、わ、私、チヨさん、大好きだものっ!!」
わっ、と涙もろいヒナタが感極まってチヨを抱き締める。舌をだしてピースサインをしているチヨにうまく
操られているとは露にも気付かないのであった。
それから、女同士の心の絆を深めたヒナタとチヨは、書斎で黙々と小説を書き続けるネジの後姿に
めくばせしてから、そっと屋敷を出る。タクシーで着いた結婚式場は都心から近く、豪華で有名な式場であった。
「ヒナタ様、結婚式は花嫁の為にあるのです。見ててください、ヒナタ様の為に、お式を素晴らしいものにしますから。」
結婚式場のブライダルコーナーでヒナタが色んなドレスの試着をしている合間にも、食事のコースや引き出物、
他BGMの選曲やら何やらと、チヨは担当と打ち合わせをして効率よく決めていく。
(チヨさんて、普段のんびりしてると思ってたけど・・・本気になるとすごくハキハキしてるのね、頼もしいわ・・)
それにしても、純和風で渋好みのネジが、教会のチャペルで式を挙げてくれるか心配だった。
洋館に住んでるわりにネジは和食が好きで、甘いものが嫌いなせいもあるのだろうが、クリスマスさえ
子供時代から祝おうとしなかった。まあ、家は仏教徒なのだから正しいといえば正しいのだが。
リーの話しでは、大学時代からネジは京都が好きで、座禅や写経を好んでいたという。趣味は瞑想。
リーと二人で滝に打たれた事もあるというから・・・筋金入りのような気がしてくる。
「・・・ネジ兄さん、怒らないかしら?仏教徒なのにチャペルでお式なんて・・・」
戸惑いがちにヒナタがそう言うと、それまで担当に何かと注文をつけていたチヨがあっさりと答えた。
「ヒアシ様のご希望ですから、坊ちゃまも従いますよ。」
「ええ?お、お父様が?!チャペルでお式をしろと言われたんですか?!」
「はい、旦那様は是非、鳩が飛んでいく結婚式が見たいとおっしゃってました。憧れなんだそうです。」
あの、厳格な父が!ヒナタは試着のドレスを身に纏いながら呆然と開いた口がふさがらなかった。
「で、出来た・・・・」
カツーン、と万年筆が机の上に投げ出されて軽い音を立てる。ネジは、はあ・・とため息をついて天井を見上げた。
(完成した・・・俺の全てを注ぎ込んだ作品が、ようやく・・・)
「ネジ兄さん、完成ですか?!」
いつの間にいたのだろう?背後に控えていたらしいヒナタから、期待に満ちた声がかけられた。
「ああ、できた、完成・・・だ。」
精魂尽き果てて、ぼんやりと告げるのが精一杯だった。だから、ヒナタが火の様な勢いで、あっという間に
原稿と一緒に部屋から消え去っても、ネジはただ、馬鹿のように眺める事しか出来なかった。
「坊ちゃま、お疲れ様でした。」
すうっと、お茶が差し出される。無意識にそれへ手を伸ばし、ネジはお茶を啜った。
「あちっ!!」
育ちがいいせいか、ネジは猫舌である。普段なら冷ましてから飲むのに、判断力の衰えた今は一気に
熱いお茶を無防備に啜ってしまった。ひりひりする舌を口から出し冷ましながらネジはチヨを恨めしく睨んだ。
「ひろいひゃないひゃっ!!(酷いじゃないか!)」
だがそんな大人げない抗議は無視されて、代わりにネジの目の前にパンフレットが差し出された。
「な、なんひゃ?」
「ヒナタ様と坊ちゃまの結婚式場のパンフです。あと、こちらが招待客と他、細々としたリストでございます。」
「なひぃ?!」
「お式は明後日ですからね、さ、坊ちゃま、今からメンズエステに出かけますよ?」
ネジの原稿上がりが結婚式にギリギリ間に合って、とにかくむさ苦しい状態の花婿にはならずにすみそうだと
チヨは安堵の息をついたのだった。
さて、ネジがやり手のばあやが予約しておいた高級メンズエステで男を磨かれている頃、編集部では
ネジの原稿に紅編集長が目を輝かせていた。
「こ、これは・・・すごい才能だわ!すぐに印刷所に連絡よ!あと、自来也先生からの推薦のコメントもね!!」
慌しく動き出す周囲にヒナタも素早く対応しようとしたが、紅にとめられる。
「あなたは明後日、結婚式でしょう?今日はもういいから、帰りなさい。ギリギリまでお疲れ様。
休暇に入っていいわよ、あとは私たちが全力で頑張るからね。」
「紅編集長・・・」
「ヒナタさん、結婚式、楽しみにしてるからね!」
先輩のテンテンもヒナタの肩に手をかけて暖かく微笑んでくれた。ざわめいていた編集部も一瞬静かになって
ヒナタへの労わりの言葉が次々と投げかけられる。あまり仲のよくなかった同僚までが、気遣いの言葉をかけてくれ
た。そんな喜びに、ヒナタは嬉し涙をこぼしながら感謝の意を伝え、深々と頭を下げたのであった。 |