第十三話「進むべき未来」

   
ヒアシとの話し合いも終え、ヒナタとの未来を許されてネジは心が軽くなった。
あの後、日も暮れていた為、ヒアシの言葉に甘えて宗家に一泊したが。
寝あしに、ネジの寝室にヒアシが訪れ、二人で静かに酒を酌み交わした。

「ネジ、ヒナタを幸せにしてやってくれ。それがわしのお前に望む唯一つの願いだ。」

何度も。年老いた伯父はそれを口にする。酔いも手伝っていたのだろうが、しかしそこに彼の
娘への深い愛情をみて、ネジまで心が温かくなった。そして、何度も答えている自分がそこにいる。
 
「もちろんです、俺は生涯をかけて彼女だけを愛し守ると誓います。必ず幸せにします。」

幸せな酒に酔いしれて、ヒアシとネジは男同士の固い約束を交わしたのだった。 
   



翌朝、二日酔いの醜態を一切隠して日向宗家を出た。見送りに出てくれたヒアシもネジ同様
無様な姿を他人に見せる事を嫌う性質ゆえ、凛とした佇まいでそこにいる。
だが、あれは相当参っているだろうと、内心ネジは感じていた。何故なら、いつも以上に
ヒアシが寡黙であったためだ。口を開くのもしんどいに違いない。
似たもの気質に親しみを更に抱いたが、ネジも相当参っていたので、簡易に挨拶を
すませると、日向宗家を後にしたのであった。



それから帰途の電車に揺られ気分が悪くなったので、迎え酒とばかりにネジは缶ビールを購入する。
二日酔いを酒で誤魔化そうと思ったからだ。ビールを喉に流し込むと不思議と気分が良くなった。
気分も落ち着いたので、ネジは缶ビールを片手に窓の外に流れる景色をぼんやりと眺める。
日向の本家があった地方から次第にネジが住む都心に近づくにつれて、景色も寒々とした
田園風景から、見慣れたビルの窮屈そうなものに変わっていった。
殺風景なビル群だが、それでも季節感が漂い、ちゃんと冬の景色に見える。
田舎のそれより、都会の眺望にネジ゙は安堵をおぼえていた。
なぜなら、ここはヒナタの居る街。
ヒナタが居る場所、それがネジの帰る場所だから。

(もうすぐ、会える・・・ヒナタ・・・)

彼は車窓にもたれながら、感慨深く今までを思い返す。

彼の人生が大きく変わり始めたのは、この春からだった。
幼い頃から見守り、愛し続けてきた従妹のヒナタへ手を差し伸べたときから、全てがまわりはじめた。
あきらめていたもの全てが、思いがけない形で彼の手におちてきたのだ。いや、おちてきたというよりも
ヒナタによってもたらされたといった方がいい。

ネジは缶ビールをまた口に運んだ。苦い味が喉に心地よい。大人のこの味をおぼえたのはいつだったか。


人生とは本当にわからないものだ。
いくつになっても、強い気持ちがあるのなら、人はやり直せるものなのかもしれない。



帰宅する頃にはすっかり夕暮れていた。
懐かしい我が家の玄関ドアに手をかける。だが、はたとネジは身構えた。
あの、うるさいチヨがまたもたれかかってるかもしれない。ネジはドアの向こうの気配を注意深く
窺いながらドアノブを回した。だが、すんなり開かれたドアの向こうには人の気配がなかった。

(買い物にでも出たのか?)

今日は日曜だったから、ヒナタも会社は休みで家にいるはずだ。だがヒナタもチヨも気配がない。
買い物にしたって、もう暗くなってるし、ここは住宅街で夜道は人通りもなく、物騒だ。
だが、ネジはヒナタが日向流体術をおさめた女傑だと思い出して、その考えを打ち消す。
並みの男ではヒナタに危害は加えられないし、その上あのチヨがいれば間違いはないだろう。
無理矢理に心を落ち着けて、自室へと向かった。きっと買い忘れがあって二人は買い物に出たのだ。
そうネジは自分に言い聞かせ、楽観的にかまえた。
だが、それは大きな間違いだったのである。



「もう4ヶ月に入るところですね。」
産婦人科の女医がカルテに書き込みをしながら、あっさりと告げた。
付き添いのチヨが女医に話しかける。
「あの、さっきの出血は?入院しなくても大丈夫なんですか?」
出血・・遅れていた生理がやっと来たと安堵したヒナタだったが、直後眩暈に襲われ
風呂場で倒れてしまい気絶した。それを発見したチヨが救急車を呼んでくれたのだが。
運ばれてきた総合病院で診察を受ける内に、最終的に産婦人科にまわされたのだった。
そしてあの出血は生理などでなく、妊娠によるものだと知らされて、ヒナタの頭の中は真っ白に
なってしまっていた。

「出血は大丈夫です。まれにあることなんですよ。心音も強いですし、赤ちゃんは元気ですよ。
 ただ、頭を打たれたのなら、大事をとって一晩だけ入院してもらいましょう。あと、軽い貧血が
 あるので、鉄剤を飲んでもらいますね。あ、おばあさまはもう帰ってもよろしいですよ。」

てきぱきと救急外来にも手馴れた女医が指示を出す。チヨが隣りで椅子から重い腰を上げる気配がする。
看護婦がなにやら注射器に薬剤を注入している。混乱した頭で周りをキョロキョロとヒナタは見回した。

「それから、一応、流産予防のお注射をしておきましょうね。」

何が何だか分からない。よく事情を飲み込めない麻痺した状態のまま、ヒナタは腕を差し出していた。




                               
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