第十一話「わだかまりの果て」
日向宗家へネジが足を運ぶと決めたのは、11月も末の事であった。
「わ、私も一緒に行きますっ!」
そう、ヒナタがネジを心配して言ったが、ネジは首を縦には振らなかった。
「あなたは仕事があるだろう?それに、ヒアシ様とは一対一で話したいこともある。」
正直ヒナタを伴って帰れば、そのままヒナタを宗家に連れ戻される心配もあった。
だからネジは、一人で宗家を尋ねると決めていた。
「で、でも、ネジ兄さんと父上は…」
「…大丈夫さ。もういがみ合う理由もない。俺は…俺だ、父親達の確執に振り回されていたガキじゃない。」
「ネジ兄さん…」
「それに、あなたの父上だ。いずれ、俺の義理の父にもなるのだから、仲良くしないとな。」
「え?」
くすり、とネジは小さく笑みをこぼした。その悪戯っぽい口元にヒナタはぽかんと口を開けて魅入られたように
呆けてしまう。そんなヒナタの艶やかな髪を片手でクシャリと撫でて、ネジは立ち上がった。
「じゃあ、行ってくる。あちらについたら携帯にでも連絡するよ。」
白いセーターにコートを羽織って、ネジがヒナタへと微笑む。それに、我を取り戻して、ヒナタは慌てて
ネジのあとを追うように立ち上がり、玄関先まで見送る。
「あ、あの…さ、さっきのって…」
「言わなくても分かるだろう?」
俺は一途な男なんだからな、とネジが呟いて素早く奪うようにヒナタへとキスをした。
「あっ…ふぅっ…」
「ヒナタ様…いい子にしてるんだぞ…?」
「んんっ…ネ…ジ…にぃ…」
軽く済ますだけのつもりが、あまりにヒナタが愛らしく艶めいた声を上げるので、ついつい
ネジはヒナタの体を引き寄せて、服越しに擦るように愛撫をしてしまう。
つんと尖った突起を確認した瞬間、もう少ししてから出立しようかと思わず本気で戸惑った。
だが。
「いつまで、タクシー待たせるのですか?チヨは空気ですが、可愛い妖精でもあるので
一応お知らせだけはします。料金ぼったくられても知りませんからね?」
妖精?ヨーダの間違いじゃないのかと心で突っ込みながら、ネジは慌ててヒナタから離れる。
名残惜しかったが、チヨのおかげでずるずると出発が引き伸ばされずに済んだのだけは
ありがたかった。
「では、留守を頼んだぞ。ヒナタ様を虐めるんじゃないぞっ!」
「坊ちゃまじゃあるまいし。ご自分の今までの所業を忘れてよくも言えますよねえ…」
背後でちくちくと痛い言葉が矢のように繰り出されたが、ネジは聞こえないふりを決め込んで
さっさとタクシーに乗り込んだのであった。
地方の名家である日向家。その宗家の門構えはいつ訪れても排他的な威圧感を漂わせている。
古い歴史を重ねているからこそ、醸し出される気品が、さり気無くそこかしこから漂う。
日向の始祖は平安末期の貴族なのだそうだが…真偽の程は知れない。
だが、それを信じ込ませるだけの家宝や因習めいた逸話はいくらでもあった。
それゆえに尊大で傲慢な宗主が君臨することを許す土台が築き上げられ、今も衰えることはない。
古い旧家だ、それも保守的な地方に根付いた風習を今も守る…いまだ戦前の封建的な空気が
ここにだけは脈々と息づいていた。
「よく、来たな…。」
緊張をおぼえながら臨んだ宗主との謁見。今時謁見だなど、と心の端で苦笑していた。
だが、目の前に佇むヒアシを見ると、すんなりと納得してしまうくらいにそれが似合っている。
(認めたくないが…やはりどうしても圧倒されてしまうな…これが宗主に選ばれた者の力か…)
やはり宗主として重ねた年月は、まるで大樹の年輪のように、ネジの父には及べぬ強い気高さと
周囲を圧倒する気品をヒアシに与えていた。
それがちくりとネジの胸を傷つける。
だが、父の無念や宗家への確執からはもう卒業したのだからと、ネジは己に言い聞かす。
父の双子の兄への嫉妬やあらゆる思いは、ヒナタを選んだ時に、捨てると決めたのだから。
「…話しとは、なんだ?お前がわざわざこうして私に会いに来るなんて、余程の事ではあるまいか?」
穏やかではあったが、ピリピリとした威圧感を漂わせヒアシが口を開いた。
それに、ネジは一瞬怯むように息を呑んだが、すぐに口元を強く引き結ぶとヒアシを強く見返した。
「?!」
「実は今日、伺いましたのは…ヒナタ様のことでお話しがあったからなのです。」
「ヒナタのこと?…あれが、どうかしたのか。」
「…以前、ヒアシ様よりヒナタ様との婚約を私に命じる手紙を頂きました。ですが、私の諸事情で
お返事が遅れましたことを、お詫び申し上げます。」
「・・・・・・」
「ですが、婚約の件、今となっては事情も変わり、ヒアシ様にご意見を伺わねばならないのです。
実はヒアシ様もご存知かと思いますが…父の遺した会社の殆どが他者の手に渡ってしまいました。
これは、私の失態であり、経営者としての器の足りなさが招いたことでもあります…。
つまり、私には、もう日向宗家に見合うだけの能力も権力もないという事なのです。」
「・・・・・・・」
「なので、宗家嫡子であるヒナタ様との婚約は…当然破棄されると思っていたのですが、ヒアシ様からは
なんの音沙汰もありません。…正直、ヒアシ様のお考えが知りたくて今日は伺ったのです。」
そこまで言い切って、ネジはいまだ黙したままのヒアシを、強く問うように見詰めた。
上座に座るヒアシは、強面を崩す事無く静かに何か思案しているようであったが。
しかし、中々口を開かず黙り込んでしまった。気まずい空気が二人の間を流れる。
緊張にネジの握り締めた拳の中を汗がじわりと滲み、彼のこめかみにも一筋の汗が流れ落ちる頃、
漸くヒアシが重い口を開いた。
「元より、私はお前の相続した権力、お前の経営者としての能力などには期待しておらぬ。」
「な、なんですって?!」
「私は…ヒザシの遺したものを取り入れるためにお前をヒナタの花婿に望んだのではない。
だから、婚約話しは有効だ。お前も私からそれを得るためにここへ来たのであろう?」
そうだ、だがヒアシの物言いは余りにもネジの自尊心を傷つけた。否、ネジだけではない。
亡き父であるヒザシをも侮辱したのだ、少なくともネジにはそう取れた。
だから、ヒナタとの婚約を許されたというのに、それを素直に受け取ることなど出来ない。
ネジは憤り、挑むようにヒアシへと感情をあらわに叫んでいた。
「俺の父の遺した会社に期待していなかっただと?父が努力の末に築き上げたものを…宗家は
取るに足りないと馬鹿にするのか!そしてこの俺の…必死に生きてきたそれをも
あなたは、興味もなく…歯牙にもかけぬと?」
「・・・・・・」
「では、一体、俺の何があなたのお目にかなったんだ?憎い弟の子供である俺を選ぶなど…っ
会社や能力でないなら、一体どこが気に入ったんだ?宗家への利益もないのにどこが…?!」
「ネジ、私はヒザシの遺したものを得るためにお前を選んだのではないと言っただけだ。
そして、お前の能力にも目を留めた訳ではないと。それの何がそんなに癪に障るのだ?」
「分からないのか!それは俺と父に対する侮辱だ!あなたは俺たち親子の築き上げてきた生き様を
相手にもしないと言ったんだぞ?それがどんなに屈辱を与えたか気付かないのか?!
あ、あなたなどに許しを請うまでもない!ヒナタは俺のものだ!もう宗家には二度と来るものかっ、
それはヒナタも同様だ!!」
「ネジ…静まれ、そう興奮するな。お前はヒザシに似て感情が激しい。」
「?!!」
「表面は物静かさを装っていても、私にはお見通しだ。全く…ヒナタも苦労だな。」
フフと笑みを零すヒアシの、そんな初めて見せる表情に。
怒りに身を任せ、興奮していた熱も急速に引いていく。
「まあ、座りなさい。私も言葉が足りなかった。」
まるで駄々っ子をあやすようなヒアシの仕草に、ネジは又苛立ちを覚えたが。
それでも宗主のこんな物静かな表情は見たことがない、その事への興味が怒りをも勝ってしまった。
「では、私の心の内、ネジ。お前にだけは話しておこうか。お前が私に食ってかかった勇気を称えてな。」
まだ納得のいかない怒りが心の中では燻るように渦巻いていたが…。
(ヒアシ様の心の内だと?)
先程の、ネジの何がヒアシの目に留まったのかという疑問もある。その答えが知りたいのも事実だった。
「わかりました…お話しを伺いましょう…。」
ネジはヒアシの話しを聞く為に改めて腰を下ろし、そうして彼の話しに耳を傾け始めた。
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