第十一話「天然」
「わ、わたし、これを読んで…すごく感動したんですっ!」
「え…あ、それは…どうも…」
「ネジ兄さんの…気持ちがっ…うっ、うれしくてっ!」
感極まってヒナタがネジの手をぎゅっと握り締め、涙を流して微笑む。それに、どきりと鼓動が跳ね上がり
ネジは違う意味で落ち着かなくなってしまった。だが、純粋に感動しているヒナタに対して不埒な感情を
抱いて欲情するなんて、気付かれたくない。だから、気を紛らわせようと、あらぬ方向に視線を泳がせる。
だが、そんなネジの苦労を知らないヒナタはますます身を乗り出してきて、ネジの至近距離まで顔を寄せ
熱弁をふるうのだった。
「ネジ兄さんは天才です!わ、私こんなに胸が熱くなった小説初めてです!」
「あ…それは良かったな…」
「これは世に出すべきです!ネジ兄さんの素晴らしい作品をきっと皆が待ってます!」
「し、しかし、これは…モデルが…あなただし…その、嫌じゃないのか?」
「そんなっ…たっ、確かに私の…苛められていた事とか重なるところはあるけれど…でも、それ以上に…」
「それ以上に?」
「ネジ兄さんの…愛が…感じられるから…私への…気持ちが切ないほどに伝わって…嬉しかったんです。」
「ヒナタ…様」
「小さいころから…ネジ兄さんは…私の事、こんな優しい気持ちで見ててくれたんですね…」
「んっ?!…あ、いや…その…」
素直に、うんと言えるほどネジはまだ達観していない。生来の素直でない性格は思わず彼の言葉を濁らせた。
そして二の句も継げないくらいに彼を狼狽させていた。
だが、ネジとは真逆の素直なヒナタは、そんなネジがいまだ張り巡らせてしまう垣根を易々と越えてくる。
微笑んで、やさしく包み込みように握り締めていた手を、少し浮かせて、それから指を絡ませてきた。
それに、ドキリと焦るネジに、ヒナタは天使の微笑で囁くように告げてきた。
「わたし、益々ネジ兄さんが大好きになりました。…本当に…愛しています…」
「ヒ…ヒナ…」
何より嬉しい告白に、ネジの目頭が熱くなる。生きていて良かったと心から実感していた。
じんと体が痺れるような幸せにネジが浸っていると、ヒナタが又、甘い声で囁いてくる。
「ね…?ネジ兄さん…それから、お願いがあるの…」
「え?な、なんだ?」
「うん…あのね、これ…主人公の少年が…片思いのままでしょう?」
無意識なのか、それにしても艶っぽいヒナタの甘えるような仕草に、ネジは馬鹿のようになってしまった。
蕩けるような感覚に頬が緩んでいくのが分かる。伏し目がちに恥ずかしそうに、だが仄かな色気を漂わせ
ヒナタが甘い声で囁けば、もう何でもいう事を聞いてしまいそうだ。
あぁ、と思わず吐息まじりに声を洩らしてしまった。慌ててヒナタを見れば、頬を朱に染めて潤んだ瞳でネジを
見詰めている。それに体が熱くなって、ネジは困ったように眉を顰めた。
「あ…だ、だから、俺にどうしろと?」
「ん…これの…モデルになった少年少女のように…結ばれたお話しも読みたいなあって…」
「え?」
「ね?書いてくれませんか?…お願い、ネジ兄さん…」
「ヒ…ヒナタッ!」
もう限界だった。色々と制約や乗り越えなければならない諸事情があったが。
「わ、わかった、わかったからっ…もう、焦らすのはやめてくれっ!」
「え?え?ネ、ネジ兄さんっ?」
本気で驚くヒナタは、自分がネジを誘惑していたなんて気付きもしない。だがその天然の色香が…。
後の偉大な大作家を生み出すことになろうとは、まだ誰も知らないのであった。
出版社の会長が、自社から作家としてデビュー。それはネジのプライドが許さなかったが、しかし、でも…。
「私、ネジ兄さん専門の担当編集になります!」
ヒナタのこの一言でネジは折れてしまった。(いや、それ以前に折れていたけど)
「だが、いいのか?自来也先生の原稿取りは…あなたでなくては無理なんだろう?」
「大丈夫です、新しいバイトに…あの、すごく頼もしい方が…入られたので…」
「へえ、そうか。」
まあ、何にしても、手は空いているのだからと、ネジは執筆活動に入る事に決めた。
それにしても、諦めていた夢がどちらも手に入るとは思いもしなかった。
愛するヒナタを手に入れる夢と…作家になるという夢。
(だが、まだどちらも中途半端だ。執筆活動するよりも…先に宗家へ一度きちんと挨拶にいかねばな…)
あれきり、ヒアシからは何も言ってこない。縁談の話もそのままだ。ネジの会社を狙っていたのなら
もうヒアシはネジを切り捨てるはずだ。切り捨てて、ヒナタを連れ帰るくらいしそうなものなのに。
正直ネジが家を開けている間の一番の気がかりはそれだった。だから毎日チヨからメールを打たせて
近況など報告させていたのだが。
ヒアシからは何の音沙汰もなかった。まるで何事もなかったのように一切干渉してこない。
(…ヒアシ様は一体何を考えているのだ?)
ヒナタを利用することを諦めたのだろうか?あれだけのグループの総帥が?
縁故で大きくなってきたような日向宗家が、手駒である娘を簡単に放棄するのだろうか?
(或いは…俺の能力をまだ欲してるとでも?)
まさか、有得ない。確かに経営手腕は優れていたが、結局会社を横取りされるような失態を犯したのに。
そのうえ、唯一残された会社の経営には関与せず、売れるかどうかも分からない作家活動に入ろうと
している男などに、あのヒアシが仮にも宗家の長女であるヒナタをくれるだろうか?
(正直、まるでわからない。だが…このままにしておく訳にもいかないだろう。)
取り合えず、処女作である小説の手直しがすんだら、宗家に赴こうとネジは決心するのであった。
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