第九話「夢」

     
「あっ!ヒナタさん、お久しぶりですっ!」
「こんにちは、今日は先輩とランチをと思って。」 

ヒナタはネジの唯一の友人だというリーの店に久しぶりに訪れていた。先輩のテンテンと近くにたまたま
所用があったので、その帰りにと立ち寄ったのだ。
 
「ちょっと、汚い店ねえ、大丈夫?」

小声でヒナタを小突きながら心配そうにテンテンが、狭い店内を見回しながらそう囁いてきた。

「大丈夫ですよ、すごく美味しいんです!」 

にっこりと微笑んで、ヒナタはお品書きを手に取った。それに渋々といった感じでテンテンも続く。

「それにしても、あなたの従兄も大変だったわね。まあ、まだまだお金持ちだから、心配する事もないか。」

歯に絹を着せないテンテンだが、悪意などない。かえってヒナタを励まそうとしているのだと、よく知って
いるから、ヒナタは困ったように笑って、そうですね、と答えたが。

「そんな事はないです!ネジはすごく傷付いてます!お金の問題じゃないんですっ!」

物凄い剣幕でリーが叫んで二人の会話に乱入してきたのだった。

「ちょ、ちょっと、何よ、この人、知り合いなわけ?」
「ネジ兄さんの親友なんです、リーさんは…」
「そうですっ!僕とネジは大学時代からの親友なんですっ!ネジはとても繊細でいい人間なんです!」
「あ、そう。ところで私、これね、肉団子定食。」
「あっ?はい、ラジャー!」

テンテンのあしらいのうまさにヒナタが呆けていると、テンテンから早く注文してしまえと目で促される。

「あ、あの…じゃあ、私も同じので」
「ラジャーっ!」

鼻歌まじりで、いそいそと料理にかかるリーを遠目に、ヒナタがテンテンを見ると。

「結構、可愛いじゃないv」

と、頬を染めていた。それに驚いていると、唐突にリーがカウンター越しに話しかけてきた。

「そういえば、ヒナタさん、自来也先生の担当なんですって?ネジから聞きましたよ?」
「え?リーさん、自来也先生を知っているんですか?」
「はいっ!大学時代、よく遊びに伺っていました、Hですがとても優しい方ですよね。」
「H〜?どすけべなだけじゃん…」
「テ、テンテンさんっ」
「ははっ、その通りですが…でもいいお話し書くでしょう?」

ぐっ、とテンテンもそれには何も言えずに、まあね、と答える。それにリーが微笑んだ。

「ネジも、自来也先生の大ファンなんですよ、あの方の小説は女性向けのラブロマンスなんですが
 密かに男性のファンも多いんですよ、僕もその一人ですからっ!」
「ええ?そうなの?でもそれって…周囲に馬鹿にされない?」
「はい、されましたよ。学生時代、僕は中国人なので余計に…差別とかありまして…ですが
 ネジだけは…馬鹿にしなかった。どうしてなのかと思ったら、この小説を好きだと言える
 僕の勇気に励まされたのだと。」
「ネジ兄さんが?」
「へえ、あの取り澄ましたオーナーがねえ。」
「ですが、それ以来僕等は無二の親友としてですねえ・・・」

久々に会ったリー青年は、明るくて楽しく、随分とネジの話しを聞くことが出来て、ヒナタは充実した
時間が過ごせたことに感謝していた。
自分の知らないネジがいて…リーの知るネジは面白い男で、その意外さにも益々心魅かれていく。
テンテンはといえば、辛辣な突っ込みをいれつつも、リー青年の無邪気な明るさを殊のほか、お気に召した
らしく、「またランチに行きましょう」と、当面はヒナタをだしにして会いにいくと決意したようであった。


それから帰宅したヒナタは、また今日も帰れないであろうネジの為に、それでも夕飯を作って
ベッドメイクをすませ、いつでもネジが帰ってきても大丈夫なように用意をしていた。
ヒナタの寂しさを理解しているのか、はたまた唯のさぼりなのか、チヨは余計な手出しはせず
ヒナタの好きなようにさせてくれるので、それが有難かった。

「でも、ヒナタ様。私の夕飯まで作らなくても・・・」
「で、でも、チヨさん、まだ病み上がりだしっ、無理しないで休んでて欲しいからっ…」
「でしたら、もっと味付けを濃くしてください。」
「ええ?だ、だって、高血圧でしょう?た、たしかお医者様が薄味にしなさいって…」
「医者のいう事なんか聞いてたら、かえってストレスで寿命が縮みます。」
「もう・・・」

どこか素直でないチヨはネジを彷彿とさせてくれて、幾分寂しさを紛らわせてくれる。
女同士二人でお茶を飲みながら他愛ないお喋りをして、おやすみなさいと居間を出た。
早くネジに会いたいと、いつもそう願いながら床に就く。
それから、目を閉じて、今日の帰り際にリーから教えられた事を思い浮かべていた。

『ネジはね、ずっと好きな子がいるって、僕によく話してくれました。その大好きな子に
 似合うような小物とか衣服とか考えたりするのが好きなんだって。大好きなその子を
 幸せにするのが一番の夢なんだって…よくそういってましたよ、名前は…』

  ――陽だまりのように暖かい…ヒナタっていうんだよって――





「今回は大変だったのう〜、父上の遺した会社が全て人手に渡ってしまったのだからのう〜ネジは。」

ヒナタの担当の自来也が、うむうむと腕組みをして、そうヒナタへと気遣うように話しかけてくる。
大学時代の頃からネジとリーと交流があったとは知らなかったが、ヒナタがそれとなく尋ねると
自来也は、楽しそうに笑い、色々と話してくれた。
ひとしきり話しつくすとヒナタの淹れたお茶を手に取り、自来也は窓の外を見る。
季節はもう秋になろうとしていた。

「もう、そろそろ、早なりみかんが出回る頃だのう。ヒナタはみかん好きか?」
「あっ…いえ、…あまり好きではありません…。」

幼い頃から思春期にかけて、荒れた肌ゆえに、みかんと呼ばれ続けた辛い思い出がある。
だから、ヒナタは迷わずそう答えていた。それに自来也は、そうか、と小さく頷いた。
その瞳に浮かんだ優しいものに、一瞬ヒナタが驚いていると、自来也が静かに語り出した。

「…昔のう、ネジが大学生だった頃か、アイツのう、わしのところに弟子にしてくれと、言ってきた事が
 あってのう、あんなモデルにでもなった方がいいようなイケメンは正直好かんから、断ったんだがの。」
「えっ?そ、そんな事があったんですか?」
「ああ、で、その後な、まさか出版社買い上げるとは思わんかったが。…父親の遺した会社の為に
 泣く泣く諦めたんじゃろうが…でも諦めきれずに、せめて出版社のオーナーになろうとしたのかもな。」
「そ、それは…もしかして、ネジ兄さんの夢って…」
「アイツは物書きになりたかったんじゃと思う。」
「っ!」


知らなかった、ネジが…そんな夢を持っていたなんて…。挫折を知らない優秀な人なんだと
ずっとネジをそう思ってきたけれど、それは間違いなのだと今更ながら痛感する。
ネジは…傷付きやすくて…優しい人間だ…それは体を重ねて、理屈じゃなく本能で悟っていた。
(ああ、私に何がしてあげられるのだろう?ネジ兄さんの力になりたい…でも…どうすれば…)


「最初な、自分の小説とか無条件で出すために出版社買い上げたのかと、下衆な勘繰りをしたんじゃが。」
「なっ!ネジ兄さんは、そんな人じゃありませんっ!!」
「むっ、そう怒るな、話しは最後まで聞けっ、で、でな。これなんじゃが…」
「?」
「ネジが…弟子入りしたいと言ってきた時に、わしに見て欲しいと、持って来た作品なんじゃが…
 わしときたら、売れっ子じゃろ?だからつい最近まで、まともに読まなくて…じゃが改めて読んで
 自分の愚かさに唾を吐きたくなったよ。」

そういって差し出された原稿用紙は古ぼけていたが、几帳面なネジらしい綺麗な文字は読みやすそうで。

「て、手書きなんですか…ネジ兄さん…え?この…タイトル…」


その小説のタイトルは・・・。


「わしは、これを読んで…ネジの才能に驚いたんじゃ。で、続編書いてデビューしろと五月蝿く
 ネジへと催促していたんじゃが、今更と…アイツ中々うんと言わなくてなあ。ヒナタ、お前さん、
 編集者としてアイツを口説いてみんか?」

 
 そのタイトルは…『みかん』





                               
トップへ
戻る