第八話「希望」☆
* この章は性的表現があります。苦手な方は注意して下さい。
―――何よりも大切な人を、傷つけてしまった―――
古い洋館の広い居間にある大きな革張りのソファに、ぐったりと横たわるヒナタ。
血と精液で汚れた筋が、ソファから床に敷かれた絨毯まで続いていた。その光景にネジは体が震えた。
全裸で交わった…ヒナタの服を引き裂くように剥いで、男を知らない初心なヒナタを怯えさせて無理矢理に。
強姦したのだ、欲望のままに、人としてあるまじき行為を…最も愛する女に強いてしまったのだ。
(お、俺は何て事を…)
頭に霞がかかっていた欲望が、すうっと退いていくと同時に普段の理性が甦ってきて、そしてネジを
激しい後悔と罪悪感が責め苛み始めた。激しい動揺、自分はその上、避妊さえしていない。
最悪の所業だった。
父の遺した会社を失って…ヒナタを諦めていた最大の原因がなくなって、彼女への自制心の枷が
外れてしまったせいなのか、もう、ずっと抑えてきたものが溢れて止まらなくて。
(だからといって、彼女の未来を奪う権利なんて俺にはないのに!)
「ネ…ジ…兄さん…」
小さな声に呼ばれて、ネジは両手で覆っていた顔を上げて、ヒナタへと虚ろな眼差しを向けた。
仰向けで…初めてなのに手荒な行為を受けたヒナタの体の疲労は酷いらしく、まだぐったりとしている。
それでも、掠れた声で、ヒナタが心配そうにネジへと話しかけてきた。
「大丈夫…だから……わたしは…だから…そんな悲しい顔…しないで?」
「ヒナタ…様…」
「嬉しかったの…だから…どうか気にしないで…」
「?!」
「…ずっと…ネジ兄さんが…好きだったから…だから…私は…ネジ兄さんが…私を好きじゃなくても…」
抱かれて…嬉しかったの・・・。
そう、紡ごうとしたヒナタの言葉は、ネジからの口付けで声に出す事は出来なかった。
「ううっ」
顎を掴まれて舌を吸われる。何度も何度も角度を変えては熱情を込めて貪るように重ねられる口付け。
ひとしきり激しい口付けを受けたあと、漸くネジがヒナタを解放してくれた。
息も荒々しいまま、ヒナタを覗き込むネジの瞳は酷く熱っぽく、ヒナタは胸が締め付けられてしまう。
体は慣れない行為にまだ痛み軋んだ悲鳴を上げているというのに、奥深い所では甘く疼くような気がした。
「俺が…あなたを好きじゃないだって?そんな事は有得ない!」
「え…?」
「好きだから抱いたんだ…お、俺はヒナタ様を…本気で愛している…!」
「!」
「ずっと、あなただけを…俺は…俺は…」
涙ぐみ、震えだすネジは、もうそれ以上何も言えなくなってしまい、ただ、抱擁のみでヒナタへの
想いを伝えてきた。ぎゅっと強く、だが暖かいその抱擁にヒナタは幸せを噛み締める。
言葉は途切れてしまったけれど、触れたところから暖かいモノが流れ込んでくるような…
そんな密着感と満たされる感覚に、溜息が零れる。すると、ネジの体がピクリと反応して。
それから、酷く切実な掠れた声でネジが狂おしそうに囁いてきた。。
「好きなんだ…ヒナタ。」
「ネジ…兄さん…」
「ずっと、ずっと、あなたが好きで堪らなかったんだ!」
「にい…さ…」
「ああ、ヒナタ…愛している…俺にはあなただけしかいない…今も…昔も変わらず…ずっと好きだったんだ…」
「っ・・・」
「なのに…こんな酷い事して…本当にすまなかった、許して欲しい…」
「にいさ…」
「これからは大切にするから…こんな乱暴な真似、二度としないから…」
「ネジにいさ・・・」
「だから…あなたを…愛することを、あなただけを愛し続ける俺を…」
――どうか、受け容れて欲しい――
「…う…うれしい…わ、私も…兄さんのこと、ずっと…ずっと好きだったんだもの…」
「ヒナタ!」
恍惚と抱き合った。抑え続けてきた感情は何処までも終わりがなく、二人を強く結びつける。
ネジの抱擁がこんなにも心安らぐものだなんて・・・いつまでもこうしていたいと願うヒナタの想いは
ネジにとっても同様であった。
「不思議だ…こんなにも安心できる事なんか・・・今までなかった・・・」
「わ、私も…」
「…ずっと傍にいてくれ…あなたさえ傍にいてくれるなら…俺は何でも出来る…」
「はい…」
「約束だぞ…」
ずっと…傍に…
それから数日は二人だけで過ごして…濃密な愛を交わし至福の時を過ごした。
だが甘い夢にいつまでも浸っている訳にはいかない。
「すまない、これから暫くは残務で会社に寝泊りするようだ。寂しい思いをさせてしまうが…」
「だ、大丈夫っ、私、ここでネジ兄さんを待ってるから…だから早く戻れるように頑張って下さいね…」
「…分かったよ…だが、あなたを一人きりには出来ないな…心配だ…」
そう言ってネジがヒナタの顎に手をかけて、キスしようとした瞬間、バタンと玄関のドアが開いた。
慌てて振り返れば、そこには仁王立ちしているような老婆が立っている。
「チ、チヨ?」
「…坊ちゃま、まさか、幼い頃からお仕えしてきた、あなたのチヨ婆を忘れたわけじゃあ、ないでしょうね?」
丁度いいタイミングだったのか、はたまた、今後のお邪魔虫になるのか。
ぎっくり腰で入院していたばあやが戻ってきて…取り合えず、ネジの杞憂は晴れたのだった。
チヨにヒナタを「大事な人だから丁重に扱えよ?」と何度も念を押してから、ネジは名残惜しそうに
ヒナタを振り返りながら家を後にした。
その遠ざかる愛しい男の背中が見えなくなるまで見送りながら、ヒナタは涙が溢れるのを止められずに
いたのだが。
「ヒナタ様、会社に遅刻しますよ?」
チヨに時計を指差されて、慌ててヒナタは支度にかかった。
本当に現実というものは、いつまでも甘い夢には浸らせてくれない。
その後、会社の処理や後始末で、暫くネジは帰って来なかった。
だが負債を抱えたとか最悪の事態ではなかったから、まだ救われていたのかもしれない。
会社は失ったが、土地や不動産など個人名義のものは遺されていたし、生活には困らない。
それに出版社はまだ残されていた、だから希望はある。
|