天に瞬く星のひとつに、あのひとがいる。
切ない想い、いまだ枯れる事ない悲しみ。
幼子のように逢いたいと願うこの心は誰にも見せられないけれど…
それでもひとりきりの、こんな夜には泣いたっていいだろう?
…星の雫は雨の矢となって、僕の中に今も降り続けている・・・。
 

星の雫(前編)

 

「日向アサヒ、お前を上忍に任命する。」

金の髪をした六代目火影うずまきナルトは、目の前の青年に任命書を手渡した。
青年は、盟友であり火影補佐であった天才、日向ネジの一人息子である。
父の名に恥じない優秀なその青年は、しかし外見は優雅で儚げな趣きを漂わせていた。
ナルトの知る日向ネジは秀麗な美丈夫であったが、厳しい刃のようでおよそ目の前の青年とは
似ても似つかない。
(こいつはネジには似てないってばよ…それよりもヒナタに生き写しだな…)
かつての仲間であり、その優しさからいつも皆を癒す存在だった日向ヒナタの面影をナルトは青年に見ていた。

青年が、まじまじと己を眺めるナルトに困ったように微笑む。それにハッと我に返ってナルトは誤魔化すように
鼻をかいた。今は亡き彼の両親をよく知っているだけに、ナルトにとって青年アサヒは特別思い入れのある相手。
彼の昇進は我が事のように嬉しく、感慨深いものがあった。

「今回の昇進は俺も凄く嬉しいってばよ・・。お前は俺にとっても特別な存在だからな。」
「ありがとうございます。」

青年…アサヒは柔和な顔に更なる笑みを浮かべてナルトに頭を下げる。
彼はこの太陽のように明るい火影が大好きであった。自分にはない強い光りを宿す彼が…。
ふと、それを考えた瞬間、苦いものがアサヒの中に広がる。だが急いでそれを封じるように目を閉じ
彼はナルトへと顔を上げ目を見開く。今はまだ駄目だ、この暗い感情を表に出す事は許されない。
そう…一人の時にだけ…決して誰にも見せてはならない。
アサヒは完全に自分を装い、改めてナルトへと微笑み、口上をのべる。

「上忍として恥ずかしくないようにこれからも努力します。では本日はこれにて失礼いたします。」
「ああ、ご苦労だったな。これからも頼むぜ?なにせ…綱手の婆ちゃんが…死んで思いがけず俺が火影になって
 この三年。お前にはよく助けてもらった。正直お前がいなかったら俺もここまで来れなかったからな。」

明るい性格で知られるナルトであったが、ここ近年立て続けに親しい仲間を失っていたために
この頃では影のある瞳をすることが多くなっている。あの鮮やかな青…よく母が憧れ、口にしていた
空の青の瞳が物憂げに…暗い海の底のような悲しいまなざしに変わっていた。

「火影様、父と母の分も…僕は里のために、仲間のために、そして尊敬するあなたのために命を尽くします。」

真摯な思いを口にしたアサヒであったが、一瞬弾かれたように瞳を見開き、次いで泣きそうな笑みを浮かべる
火影に戸惑ってしまう。
歴代の中でも最強の名を欲しいがままにしている彼が、四十前にも関わらず老人のように疲れきった顔をする。
不吉な予感がした。





「アサヒ様、祝いの晴れ着は、この着物でよろしかったでしょうか?」
日向宗家に戻れば年若き宗主としてアサヒは息をつく間もなかった。
昼間の火影の様子が気がかりであったが、一族への多忙な采配などでいつしか忘れていた。
特に今夜は・・。自分の上忍祝いの席があるだけに気が抜けなかった。それに…。
(今夜はあのひとが来る・・)
幼い頃から密かに慕い続けてきた叔母ハナビ。亡き母の妹である彼女は夫と生まれたばかりの赤子を敵の襲撃で
失って以来、人と接触するのを嫌い滅多に人前に姿をあらわさなくなっていた。
かつて、あんなに気にかけ可愛がっていた甥のアサヒにさえ、滅多に会いに来る事はない。
だが今夜は違う。いくら彼女とて宗主の上忍昇進祝いを無視することは出来ないだろう。
(出来れば…会いたくない。もう少し僕が大人になるまで…あの人には会いたくないが…)
でも、心の底では疼くような思慕が渦をまいてアサヒを急きたてている…
会いたくないと思う反面、それ以上の情熱で彼はハナビへと思いを馳せていた。



宴が始まり、アサヒは宗主の席に座し、皆の祝辞を受ける。次々と頭をたれる一族の重鎮。
それから宴に呼ばれた末端の者までが順番に祝辞をのべていく。
刻一刻と時は過ぎるのに、一番逢いたいひとは中々現れない。
穏やかな性質の彼であるが流石に少し苛立ち始める。
と、側近の一人がアサヒの傍まで歩み寄り、静かに耳打ちする。
「叔母上様は体調が優れないとのことで、今宵は申し訳ありませんが欠席するとのことです。」
衝撃がアサヒの胸を貫いた。思わず手が震える。
だが表情にはださぬよう必死に努めて彼は「わかりました。」とだけ答えた。
たった一人の身内…残された宗家であるハナビに自分は今も憎まれているのだろうか…?
あの敵の襲撃時にすぐに能力を発動しなかったアサヒを憎む遺族はまだ一族の中にいる。
ハナビも・・・その一人であった。
表情には出さずとも意気消沈する気配を漂わせてしまった。そんな歳若き宗主を嘲笑する声が響く。
(あれは天才とはいえ、女々しい宗主よ、叔母に憎まれ見捨てられたくらいであの様はなんたることか・・・)
ヒソヒソと囁かれる分家達の蔑みよりも、アサヒを苦しめるのはハナビに見捨てられた事実だけであった。



その夜は宴が終わっても眠れず、アサヒは一人中庭に立ち、夜空を見上げていた。
日向の目は何事も見透かす・・。或いは己の邪心を叔母は見抜いているのかもしれない。

決して許されぬ…禁断の想いを…。

逃れる事が出来るなら、逃れてしまいたい。この心をちぎり取る事が出来るなら、ちぎりとってしまいたい。
だが恋は盲目、病にも似て、彼はその感情をもてあましている。普通でさえない、この恋心は
どこまで自分を追い詰めていくのだろう?どこまで自分は浅ましく汚れた人間に堕ちていくのだろうか・・・。

「父上…僕は本当に愚かで…駄目な人間です…貴方に、こんなにもたくさんのものを贈られながら…
 こんな醜いものを抱え込んでしまった。こんなにも汚い感情を大切な人に抱いてしまった。僕は…貴方に顔向け
 出来ません…きっと…もう忍として戦うことでしか…なにも…かえすことができない…人としては…
 なにも誇れるものを残せそうにない… 僕は……」


僕はたった一人の叔母を女性として愛してしまった…僕の心は大きな闇にとらわれてしまったんだ…


父の名に恥じぬよう、彼の死後この三年、血の滲むような努力を積み重ねてきた。
その甲斐あって上忍にまでなれた。
でも…心はいまだあの日のまま…亡き人を偲び恋い慕う…
いつしかその寂しさからたった一人の身内であるハナビを思うようになり…
肉親への情が強烈な思慕ゆえに捻じ曲がったものに変化していた。

弱さが招いたものだ、自分の心の弱さがこんな醜いものを生み出してしまった。
涙がアサヒの頬を伝う。男が泣くなど女々しいと、ネジが生きていたら、したたかに頬を打たれていたことだろう。
 
(逢いたい…)

あの頃はあんなにも恐れていた父の叱責が、今の歪んだ自分には必要だった。
そして強烈な支配で自分をあるべき道へ引き戻して欲しかった。

(逢いたい…父上…僕を叱ってください、僕はまだまだあなたの子供でいたかった…!)

己の甘さに吐き気がする。けれどアサヒの本質は母ヒナタに似て臆病で優しかったから…
心の支えがどうしても必要だった。

けれど今、彼には心の頼りになるものがいなかった。父から引き継いだ瞳は彼の肉となり血にはなっても
彼の心を癒し、慰めるものではない。だからこそ唯一残された肉親であるハナビに執着するのかもしれなかった。



満天の星空の下、誰もいない中庭でアサヒはひとしきり泣いた。誰も彼を慰め、愛する者はいない。
あるのは孤独。
歪んだ恋情に苛まれた、底の知れない孤独な心を抱え込んで夜に一人泣き続けた。


ふと、微かな気配に彼は涙にくれるのをやめる。月のない星だけの夜。
灯りは星の光りだけ。だが彼の視界の隅に不穏な光りが届く。

(火影様?!)

不安は的中した。白眼を発動しなくとも彼が振り返ったさき、里の中央には巨大な火柱が上がっている。
どくどくと嫌な音を立てて血が体中を駆け巡る。アサヒは急いで火影の元へと向かった。


                                    
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