第一話「はじまり」
 
      
その日ヒナタはソワソワと落ち着きがなかった。 
いつもおっとりとした彼女らしかぬ仕草で庭先をウロウロと落ち着きなく堂々巡りしている。
それを親戚達で埋め尽くされた宴会場の大広間から訝しげに眺める人物がいた。
その人物は歳の頃は25、6といった若い青年で大層見目がいい。
長い黒髪を後ろで一つに束ね白皙の美貌を誇っている、が、しかしそれは決して女々しいものでなく
男らしい気品に溢れていた。
だが稀に見る気高そうな美貌の青年はもうそれだけで近寄りがたいというのに、更に厳しい雰囲気を纏い
誰をも寄せ付けぬオーラを放っているので周囲から完全に孤立し一人盃を手にしている。
その青年に大胆にも声を掛ける少女がいた。

「ネジ兄さん、お久しぶりです。」 

ネジ兄さん、と話しかけてきた少女は先のヒナタの妹ハナビである。
高校2年の彼女は今年大学を卒業したばかりのヒナタよりも大人びて見えた。そしてかなりの美少女である。
だがその気の強そうな美少女のハナビに対してもネジと呼ばれた青年の厳しい表情が崩れる事はなく、
関心のない声が返される。

「ああ、久しぶりですね。」 
 
ハナビに一瞥すると彼は又外へと視線を向ける。その視線の先の人物にハナビはああ、と頷いた。

「姉さんが気になりますか?」

微かに。
ほんの僅か彼が震えた。
だが、また関心などないのだと言わんばかりの感情を込めない声で彼はハナビに振り返りもせずに言った。

「いや、ただあの人は何をウロウロしているのか気になってな。珍しい事もあるものだと
 酒の肴に眺めていただけだ。」

ああ、それはですね、とハナビがヒナタのそわそわと落ち着き無いその理由を語り出した。

「姉さんは郵便屋さんを待っているのですよ。」
「郵便屋?」
「就職試験の結果通知がそろそろ届くはずなんです。だからああしてそわそわと。」

成る程とネジは合点がいった。そうか、もう彼女は大学を出たのだから社会人になる訳で。
その為に就職活動をしていたのか。
だがお嬢様の彼女が外に出て働くとは少し意外でもあり、そして疑問も浮かぶ。

「縁故で就職などいくらでも出来るだろう?旧家の令嬢なのだから。それに働く意味もないと思うが…」
「ああ、それはね、縁談が嫌だからですよ。」

どきりとネジの心臓が唸った。
だが鉄面皮の彼はハナビに動揺を悟られる事なく、何故?と聞き返す事に成功する。
ハナビが呆れたように答えた。

「一昔前じゃあるまいし、誰が好きでもない男と結婚したいものですか。姉さんとてそれは同様ですよ。
 だから父上に対抗してあの気の弱い姉さんが自力で就職活動などしてるんです。」
「だがヒアシ様が許さないだろう?」
「いえ、父上は姉さんが自力で就職して自立出来るなら縁談は見送ると約束したんですよ。」
「それは又何とも…珍しい事だな。」

そこでネジは感づいてしまった。多分ヒアシは裏で用意周到に手を回しているのだろう。
ヒナタが就職試験に受からぬように手配しているに違いない。
旧家の掟が染み付いたあの男に長子であるヒナタを自由にする寛容さ等ある筈が無い。
それは確信に近いものだった。

(ヒアシ様はそういうお方だ。)

世間知らずのヒナタなど容易く思い通りにされてしまうだろう。
それはいささか、いやかなりネジにとって、面白くない事だった。だから思わず体が動いていた。

「ネジ兄さん、どちらへ?」
「厠だ。」
「それは、どうぞごゆっくり用を足されませ。」

聡いハナビにふんと鼻を鳴らすとネジは不機嫌さを増した態を装って大広間から出て行ったのであった。



「う、うそっ…」

案の定中庭で何枚かの手紙を手にヒナタが震えていた。その後姿にネジは苦笑する。

(やはりな)

「ヒナタ様。」

びくりとヒナタが大きく飛び上がるように驚く、まるで漫画だなといささか呆れながらネジは彼女に歩み寄った。

「ネ、ネジ兄さんっ?!」
「随分久しぶりだ、4年ぶりか?」
「は、はいっ、本当にお久しぶりで…」
「就職受かったのか?」
「あ、そ、それは…」

しゅんと俯くヒナタにネジの口角が上がる。
彼は湧き上がる喜悦を悟られぬように注意深くヒナタへそれを持ちかけた。

「何なら俺が世話をしてやろうか?」
「えっ?!」
「日向とは縁もゆかりもないが中堅企業で待遇もいい、俺の知り合いがいるから声をかけてやろうか?」
「ほ、本当ですかっ!」

ぱっと一気に花が開いたようなヒナタの愛らしさにネジは心臓が一瞬止まるかと思った。
きらきらと瞳を輝かせて期待に満ちた瞳がネジを見詰めている。
ああ、可愛い…とネジは顔には出さず心でうっとりとしていた。
だが呆けている場合ではない、ヒアシに気取られる前に事を進めねばと彼はヒナタへと更に話しを進め出す。

「この会社だ、俺が連絡して内定を取ってやるから、あなたはヒアシ様に就職が決まったと言ってやるがいい。」

(そう、この会社にまでは如何なヒアシ様でも手は回せんからな。)

「あ、ありがとうございますっ!な、なんてお礼を言ったらいいのかっ…ああ、夢みたいっ!」

そりゃそうだろうな、と内心ネジは苦笑する。
ヒナタが他の男に嫁ぐなど許せないからこうして自分は本家の反感を買うのも恐れず助け舟を出してるのだ。
こんないつまでも幼い頃からの恋慕に縛られている従兄が偶然にもここにいなければヒナタはヒアシの思うままに
なっていたはずだ。
偶然とネジの本家への歪んだ対抗心とヒナタへの恋慕がなければ夢な話しだったのだ。
だからその夢を叶えてやったのだから少しはいい目をみてもよかろうと彼は考えていた。
そんな訳でヒナタに条件など提示してみる。

「但し、ヒナタ様。条件があるのだが?」
「は?はいっ、何ですか?ネジ兄さん。」

少し脅えの色がヒナタの瞳に浮かんだが彼女は必死らしくネジの要求に応えようと、聞いてもいない内から
気合をいれて握りこぶしを作っていた。

(可愛い…)

懸命なヒナタにまたも内心デレデレしながら、ネジは形の良い唇を開いたのであった。


                               
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